にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

ベランダスッキリともやもやと

2021年12月29日 19時40分35秒 | 意識改革
家の中の掃除をしてました。
ベランダってゴミがたまってる。
髪の毛も多くあったり、枯れた葉とかはなかった。
あとホコリですかね。綿ほこりや土ほこり。
ホースで出来ないので雑巾でふいたり、バケツで流しながら
デッキブラシでこびりついた土をかきだす。けっこう
乾くときれいになっているのがわかって、すっきり。
70%くらいはきれいになったかな。
定期的に出来たら、自分も清清しい気分になれそうだ。

明日はまだ掃除とかしたい箇所があるんだけど
買い物があって車で出かける時間がある。今日は
全くでなかったので、参拝も出来ておらず。
申し訳ない。明日とあさっては参拝に行きます。
にをいがけに出ている方も多いかもだけど家の掃除は
この時期大事なことだと決めて、普段出来ない場所を
きれいにしたいと思ってます。

片づけで主人とよく喧嘩をします。
濡れ衣を着せられます。
『ここに入っていた電球どこやった?』
「一番上の引き出しに移動したよ。いっぱいになったから」
『もっとあと他にもあったはずだ。また捨てたのか?!』
「知らないよ。私は場所を移動しただけだから」
『全く勝手に捨てやがって。大事なもの捨てんじゃねーよ』

私からしたら、主人の何が大事なものなのかわからない。
使用済みの乾電池が100個くらい引き出しにためてある現状は
耐え難いものがあって、見てみぬふりもしんどい。

朝からこんなもめもめの会話も最近多い。
主人の勘違いによるものだけど、腹いせで10年着てない上着とか
勝手に捨てたことはあるけどね。主人の許可の下やったこともあるのに
本人の記憶に無くて勝手にされたと怒り出す。
それを立証できないのが悔しいかな。
主人みたいな人間が2人以上いたら家の中はゴミ屋敷化するだろう。

たまには長男のところに不足を言いに行って来ようかな。
以前、『来たらいいよ』と言ってくれたことがあって、、
すっかり忘れていたんだけどね。まだ有効かな。

ちょっと不足を聞かせてしまってごめんなさい。
言っても何も変らないんだもんね。



大事なのは忘れないってこと

2021年10月06日 16時44分58秒 | 意識改革
長い時間つないでいても
こちら次第で切れてしまう。
埋もれてきてしまう。

そういう方たちも自分には大事な方たち。
初参拝までは繋いで行きたいと思いなおした。
相手によりけりだけど
お誘いのためだけの相手がいてもいいみたい。
いつか関係性が変わってくるかもしれないから
私も割り切ろう。


更なる後悔を生まない為に

2021年05月15日 08時31分13秒 | 意識改革
自分が今とるべき対応に迷うことはあるけど
できるかぎり後悔しないように考えているつもり。
にをいがけでもあとから「ああ言えば良かったな」と
昔はよく思ったものです。
そういえば最近はあまり、、、思わなくなった?
いいことなのかどうか分からないけど・・・・・

実際は後悔のないほうを選んでいるのは
自分の気持ちをおさえて「今はこうあるべきなんだ」と
意を反して動いていることも多いのかもしれない。

前置きなんて要らないんでしょうが(笑)
昨日の自分の立ち振る舞いに後悔してます。

内容的に色々と書くのは躊躇するのでやめました。
お孫たちがいるときは自分はお孫たちをみていて当然。
午後にはoyomeも拝殿に座りたいと思うと推測して
行ってあげるべきなのだ。
お孫が拝殿を走っていたら自分が拝殿に座っていても
すっとんでいってやめさせるべきだよね。

昨日はいつもならそうしていた自分を押さえつけて
話を聞いてもらってました。あまり拝殿で話さない先生だったので
聞かれて普段のことをしゃべっていただけなのに、、、
ぐっと我慢してました。
自分がそんな我慢をしているにも理由があって・・・・・・


でも、今朝になってからすごく後悔した。
今月末からoyomeが2度目の修養科へ行くので(母子で)
私がお孫たちと遊んでいられる時間があまりないわけでして、、、
今のこの時間は大事にしないといけないんだなって
昨日の自分の行いを振り返ってすごい後悔してしまった。
周りの状況は変わってもお孫との関係は絶対的に変わらない。
だからそこには遠慮はいらないはずだから。

どっかで聞いたような、、、
!!!井の頭五郎さんが言っていたな。


あと10日ほどはもっとお孫たちとべたべたしてもいいんじゃない?
お孫には情になってもいいってこっそり思ってます。
意地を張っていると後悔するのは目に見えている。自分が苦しくなる。
自分の性格を考えると。
心を入れ替えて、、、というか素直になって子守をしよう。
なるべく午後には子守の時間をつくろう。

自分が流れの渦を変えていかないとだなって強く思いました。
今日はたぶん長男がお休みだから大丈夫かな。












深く悟りたい

2020年05月16日 21時28分52秒 | 意識改革
夕べから決めていたことで
今日はチャリで早い時間に参拝に行こう、を実践した。

9時半くらいに家を出るころには
小雨がぱらぱら。雨は午後からと聞いていたので
あまり気にしないようにして雨具も持たず。
教会に着くときには止んでました。ていうか、場所の問題。
雨や雪が少ない地区なんですよ、教会のあたりは。

我が家は雪も雨も多い地区。駅3個分離れてますから。


参拝をすませてあいさつをして教会を出ました。
帰りは向かい風で思うように前に進まない。
家までまだ半分以上もあるのに雨脚がまとまってやって来た。

荷物は濡れないようにしてあるから
自分の身だけなんで安心でした。
ダンガリーシャツとか雨模様が目立つじゃないですか。
恥ずかしいんですよね。笑
『あの人びしょぬれだー』と車の人たちに思われてる。

本人はそんなに大変でもないのにね。

もうダッシュで家までギヤを軽くして
その分すごいスピードでこぐのさ。久しぶりのこと。


帰宅して2階で着替えて階段を降りるとき
太ももに力に入らなくってガクガク。
こんなにふともも頑張ったんだーーーーと動揺。
こういうことをもっともっと、またやっていかないと。
ちょっと、うれしい感覚を味わえました。


しばらくしたら仕事から帰った主人が。
ニヤニヤした表情で私を見ていて、、、、、ふと手元を見たら
私の!!私の失くした車と家の鍵が一緒になっているキーホルダー。
どんだけ探したか分からないくらい探した家と車のキー!!
主人がみつけました。
助手席のドアポケットに入っていたらしい。

思いがけない場所にあったので違和感があったの。
探しているときはそこだって当然見たはず。ドアとイスの間とか。
納得がいかないものかな、紛失したものが見つかったときって。
とにかく良かったです。


どんだけの期間、なかったんだろう。
誰かが拾って家のものが留守のときに勝手に鍵をあけて
廊下を歩いているんじゃないかなとか想像もしてました。
一瞬ですけど、、、、夜中にうちの車のカギ開けて
闇の街を走っているんじゃないだろうかとか、
そんなのいくらでも想像できますからね。


主人が言う。
一昨日誰も乗っていないのにブレーキランプがついたことと
関係してて、車がカギのことを教えてくれたんじゃないかなって。
オレが今日は雨の中も仕事を頑張っていたからかもしれないとか
どの口が言っているんだろうと思うようなことを口走ってました。
そういうことを言うような人ではないんですけど、普段。


私はぜんぜん思わないけどね。主人の鍵ではないのだし
私の愛用の鍵だったわけだから、、、、、でも、悟り(?)は
自由だから主人の考えを否定も出来ません。
、、、、けど違いますけどね。

私じゃなくって主人がみつけたことには意味があると思います。





再確認ができた

2018年12月10日 18時16分37秒 | 意識改革

どっかに書いたかもしれないけど
25年の間には何度も
「天理教やめたい!」
「もういやだ!」と思ったことがある。

切り替えが早いのか、その気持ちは長続きせず終わる。
またなんかの拍子に思い起される。
結局いまだ信仰を続けてる。
信仰をしているっていうのはそもそもどういうことなのか。

 

毎日教会へ運ぶことでもないでしょう。週に一回でも運んでたら
信仰をしてるってことでもないし。
にをいがけおたすけをしていないと信仰をしてない
ことにはならないでしょう。
理立てをたくさんしているからではない。
修養科へ行って成人して帰ってきたから信仰へつながるわけじゃあない。
やめちゃう人だってけっこういると思うし。

 

信仰をしているってのは、自分の自覚がすべてなのかな。
人がどう言おうとしてないって思ったらしてないんでしょうし
ようぼくだし信仰してますって思っていたらそうなのでしょう。
信仰ってなんだろう。
忘れちゃったよ。

そこにこだわることはないのかも。形ではなくて心。
思いが神様のほうを向いているのか。
おたすけ心があるのかどうか。
親心になれるのかどうか。。。。。

そうか。
幾度となく聞かせていただいている。
”助かりたいから人を助けたいにならないといけない”って。

助かりたいから人を助けたい心に変わったときから
『信仰している』になる!!
なんでそういうことを書いているのかというと
先月の300円プロジェクトで感じたことにつながる。


上福岡から新河岸駅へ向かう道中は道を聞きながら移動したって書いた。約2時間かけて「この道でいいのかな」「こっちでいいのかな」「このあたり面白そうだから戸別したいな」
と興味をそそられながらも先を急いで歩いたって。
そのうち知っているアパートが出てきて「ここ来た」ってなって、この道はあの道だなって不安が確信となって行ったのよ。「もう大丈夫だ!」って。
まるで私のお道人生のようだ。

今自分がいる地点は「大丈夫、違ってない」と思って歩いている地点なんじゃなかろうか。本当にそうだなって思った。そのことを再確認させてもらわなきゃならなかった。今回のチャレンジの収穫(というならば)のひとつだと思った。