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●27-①対策として、文章題の実践問題を作成してみました。10回程度連載する予定です。ご感想やご意見もぜひお寄せください。
●文章題の回答訓練にお役立てください・・・
・ポイント①文意・文脈や(注)から該当する漢字や熟語が思い浮かぶようにする。よく文章と(注)を読んでください。
・ポイント②80~90%程度は回答できるレベルだと思います。水準以下だった場合は、他分野の訓練もあわせ注力してください。
・ポイント③公開済みの「26-③対策」も依然として有効ですので、復習用にぜひご活用ください。
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●鴎外歴史文学全集 第10巻&第11巻 「北条霞亭」(上・下)より。
●北条 霞亭(ほうじょう かてい):安永9年9月5日(1780年10月2日~文政6年8月17日)。江戸時代の漢学者。志摩的矢出身。
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<文章題その6>
(その八十二)
「・・・以上三書同発の事を言ふ一段は、わたくしと雖も猥瑣(わいさ)の甚だしいのを知つてゐる。此篇を読むことを厭(い と)はぬ少数の好事者も、定(さだめ)て鄙意(ひ い)の存する所を知るに苦むであらう。しかしわたくしは年次なき我国の古人の書牘を読む法を講じてゐるのである。そして講究のメカニスムの一隅を暴露して人の観るに任すのである。此講究の有用無用はわたくしは問ふことを欲せない。世に偶(たまたま)無用の人があつて好んで無用の事をなすも、亦必ずしも不可なることは無からう。
前年渋江抽斎を伝した頃、一文士は云つた。森は断簡を補綴して史伝を作る。此の如きはトウヒツ(刀 筆)の吏をして為さしめて足ると云つた。是は容易く首肯し難い。且(しばら)く広瀬旭荘の語を借りて言はむに、史館は正史を修むる処である。間史を修むるカンカイ(官 廨)は無い。縦ひこれを設けられたとせむも、リショ(吏 胥)の間、忍んで此の如き事をなすものの有りや否は疑はしい。わたくしの此言をなすのが、カンカイ(官 廨)に於て有用の事が等聞視せられてゐると云ふ意でないことは固よりである。」
(注)*トウヒツの吏:文字を記録する事のみを任務とする下級役人 *リショ:官吏のこと *カンカイ:役所のこと
(その八十三)
「・・・文化乙亥(十二年)八月には的矢書牘中霞亭が弟碧山に与へた八日の書が遺つてゐる。方五六寸の紙片にヨウトウ(蠅 頭)の文字で書いたものである。「半切(はんせつ)切れ候而甚細 書御免可被下候」とことわつてある。その乙亥なるを知るは彼三書同発の事より推すのである。「七月京都舛屋便に索麪及袴地其外菅氏よりの品物等一併佐藤子 文迄頼遣し候。此節大方相達し可申奉存候。」袴地の同じく往(ゆ)いたことは、此に由つて知られる。霞亭が京都で買ひ求め、その華美なるを嫌つて碧山の袴と更へたものである。舛屋の「舛」字はボクシン(墨 瀋)に半ば掩(お お)はれて不明である。・・・」 (注)*ボクシン:墨汁
「・・・恒軒の人となりは墓表にかう云つてある。「先生為人敦直。(以下、略。)・・・」霞亭の樵歌に云ふ所も略同じである。「其の為人、天真横出して ヘンプク(辺 幅)を修めず。而れども義の不可なるに逢えば、テキメン(覿 面)してバセキ(罵 斥)し、趨避する所なし。酒量有り、飲めば則ちコウキツ(口 吃)す。」コウキツ(口 吃)の事は霞亭の一聯にも見えてゐる。「得酒談奇奇或吃、辞銭守道道曾玄。」・・・」 (注)*テキメン:面と向かって *趨避する:遠慮してはばかる
<コメント>「ボクシン」ぐらいが目新しい熟語でしょうか・・・(注)から「シン」の意味と漢字が浮ぶかどうかですね。「トウヒツの吏」は成語なので知っているかどうか。「コウキツ」は文意から閃くかどうかですね。
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●27-①対策として、文章題の実践問題を作成してみました。10回程度連載する予定です。ご感想やご意見もぜひお寄せください。
●文章題の回答訓練にお役立てください・・・
・ポイント①文意・文脈や(注)から該当する漢字や熟語が思い浮かぶようにする。よく文章と(注)を読んでください。
・ポイント②80~90%程度は回答できるレベルだと思います。水準以下だった場合は、他分野の訓練もあわせ注力してください。
・ポイント③公開済みの「26-③対策」も依然として有効ですので、復習用にぜひご活用ください。
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●鴎外歴史文学全集 第10巻&第11巻 「北条霞亭」(上・下)より。
●北条 霞亭(ほうじょう かてい):安永9年9月5日(1780年10月2日~文政6年8月17日)。江戸時代の漢学者。志摩的矢出身。
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<文章題その6>
(その八十二)
「・・・以上三書同発の事を言ふ一段は、わたくしと雖も猥瑣(わいさ)の甚だしいのを知つてゐる。此篇を読むことを厭(い と)はぬ少数の好事者も、定(さだめ)て鄙意(ひ い)の存する所を知るに苦むであらう。しかしわたくしは年次なき我国の古人の書牘を読む法を講じてゐるのである。そして講究のメカニスムの一隅を暴露して人の観るに任すのである。此講究の有用無用はわたくしは問ふことを欲せない。世に偶(たまたま)無用の人があつて好んで無用の事をなすも、亦必ずしも不可なることは無からう。
前年渋江抽斎を伝した頃、一文士は云つた。森は断簡を補綴して史伝を作る。此の如きはトウヒツ(刀 筆)の吏をして為さしめて足ると云つた。是は容易く首肯し難い。且(しばら)く広瀬旭荘の語を借りて言はむに、史館は正史を修むる処である。間史を修むるカンカイ(官 廨)は無い。縦ひこれを設けられたとせむも、リショ(吏 胥)の間、忍んで此の如き事をなすものの有りや否は疑はしい。わたくしの此言をなすのが、カンカイ(官 廨)に於て有用の事が等聞視せられてゐると云ふ意でないことは固よりである。」
(注)*トウヒツの吏:文字を記録する事のみを任務とする下級役人 *リショ:官吏のこと *カンカイ:役所のこと
(その八十三)
「・・・文化乙亥(十二年)八月には的矢書牘中霞亭が弟碧山に与へた八日の書が遺つてゐる。方五六寸の紙片にヨウトウ(蠅 頭)の文字で書いたものである。「半切(はんせつ)切れ候而甚細 書御免可被下候」とことわつてある。その乙亥なるを知るは彼三書同発の事より推すのである。「七月京都舛屋便に索麪及袴地其外菅氏よりの品物等一併佐藤子 文迄頼遣し候。此節大方相達し可申奉存候。」袴地の同じく往(ゆ)いたことは、此に由つて知られる。霞亭が京都で買ひ求め、その華美なるを嫌つて碧山の袴と更へたものである。舛屋の「舛」字はボクシン(墨 瀋)に半ば掩(お お)はれて不明である。・・・」 (注)*ボクシン:墨汁
「・・・恒軒の人となりは墓表にかう云つてある。「先生為人敦直。(以下、略。)・・・」霞亭の樵歌に云ふ所も略同じである。「其の為人、天真横出して ヘンプク(辺 幅)を修めず。而れども義の不可なるに逢えば、テキメン(覿 面)してバセキ(罵 斥)し、趨避する所なし。酒量有り、飲めば則ちコウキツ(口 吃)す。」コウキツ(口 吃)の事は霞亭の一聯にも見えてゐる。「得酒談奇奇或吃、辞銭守道道曾玄。」・・・」 (注)*テキメン:面と向かって *趨避する:遠慮してはばかる
<コメント>「ボクシン」ぐらいが目新しい熟語でしょうか・・・(注)から「シン」の意味と漢字が浮ぶかどうかですね。「トウヒツの吏」は成語なので知っているかどうか。「コウキツ」は文意から閃くかどうかですね。
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