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●27-①対策として、文章題の実践問題を作成してみました。10回程度連載する予定です。ご感想やご意見もぜひお寄せください。
●文章題の回答訓練にお役立てください・・・
・ポイント①文意・文脈や(注)から該当する漢字や熟語が思い浮かぶようにする。よく文章と(注)を読んでください。
・ポイント②80~90%程度は回答できるレベルだと思います。水準以下だった場合は、他分野の訓練もあわせ注力してください。
・ポイント③公開済みの「26-③対策」も依然として有効ですので、復習用にぜひご活用ください。
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●鴎外歴史文学全集 第10巻&第11巻 「北条霞亭」(上・下)より。
●北条 霞亭(ほうじょう かてい):安永9年9月5日(1780年10月2日~文政6年8月17日)。江戸時代の漢学者。志摩的矢出身。
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<文章題その11>
(その百三十九)
「・・・霞亭は阪下、石部を経て京都に入り嵯峨に宿つた・・・
爰(こ こ) に後の詩を録する。「不問京城一故人。尋花先向桂河津。山霊待我非無意。独樹分明尚駐春。」「不問京城一故人(京城の一故人を問わず)」と云ふと雖も、霞亭は行李を嵯峨に卸して後、特に山陽を鴨川の辺に訪うて留まること二夜であつた。―頼子成が
フスイ(鳧 水) 僑居に宿すー 「春風 三月 皇州に入り、一笑して相逢いは皆な
キュウチュウ(旧 儔)。貪り看る鳧川(ふせん)楊柳の色、
リョウショウ(両 宵) 沈酔して君が楼に宿す。」(注)*フスイ:鴨川のことを指す。 *キュウチュウ:古なじみ *リョウショウ:二晩
(その百四十一)
「・・・しかし霞亭は予定の如く五月十日に神辺を発したことであらう。茶山集は此行を送る詩を載せない。惟弟撫松の随行したこと、碧山の的矢より関宿に赴いて相会したこと、六月二日に恙なく江戸に著したこと等は、下の六月四日の書に由つて知ることが出来る。又門田新六さんの
蔵儲(ぞうちょ)せる
シセン(詩 箋) は当時神辺を発するに臨んで書した撫松が
リュウベツ(留 別) の作である。福田氏はわたくしに其詩を録示した。―将に東都に赴かんとして菅尭佐老兄にリュウベツすー 山村五月
レンプウ(楝 風) の時、又た故人に別る 天の一涯。
イジュ(渭 樹) 江雲 君 我を憶ふ、
リンコウ(鱗 鴻) 為に寄す 幾篇の詩。・・・」(注) *リュウベツ:旅に出る者が、残る者に別れを告げること。 *レンプウ:「おうち」の花咲くころ吹く風。うす紫の花をつける。*リンコウ:「リン」も「コウ」もともに手紙の縁語。
(その百五十四)
「・・・梅荘の第二の書は霞亭が上の第一の書に答へた後に作られたものであらう。然るに日附は顚倒して「二月廿九日」となつてゐる。所謂「館中取込」の際此錯記 をなしたものではなからうか。「
ダウン(朶 雲) 忝く拝誦致し候。御紙面之趣 申上げ候処、・・・以下、略。・・・。
トンシュ(頓 首) 拝復。二月廿九日。北小路大学助。北条譲四郎様。」
「・・・霞亭の資愛(*人名)に
見(ま み) えたことは、遺稿の詩に徴して知るべきであるが、其日が四日の夕であつたか、六日の午後であつたか不明である。詩は「日野相公に謁し奉り
恭(つつし) みて賦す」 の五律である。「東下す 皇華の使、文星 一位明らかなり。
シリン(糸 綸) 清要の職、忠孝 古家の名。在衣冠の会に在りと雖も、
キュウガク(丘 壑) の情を忘れず。春台 野父を延(まね)き、賜坐 流鶯を聴く。」此時資愛は正二位大納言で、年四十三であつた。資愛は霞亭と偶
ドウコウ(同 庚) の人であつた。・・・」(注) *ダウン:他人の書簡への敬称。 *シリン清要の職:天子の詔を起草する職。 *キュウガクの情:自然を愛する心。*ドウコウ:同年齢。 *文星:文昌星(北斗七星の6星の称)をいい、文壇をつかさどる星。転じて、文章の第一人者。
(その百五十六)
「・・・文政壬午(五年)五月二十日の花亭の書は、霞亭との間に数度の往復を累ねしめたらしい。偶存する所の二十五日、二十七日の花亭の書に徴するに、彼の佐渡奉行の随員を求むるが如き事件の有無に拘らず、北条岡本二家の応酬は
キョジツ(虚 日) なかりしものの如くである。」
「・・・花亭二十五日の書はかうである。「・・・君子を吉士と御改可被成やのよし、何様是はそれに而もよろしくや。近有を近見と被成候ては、対句のつり合少しわろくなり候歟。近有終 無、改がたきやにも覚申候。有常等の聯何と歟御直し被成方もあるべくや、・・・此二句のこゝろをいひ廻し方有之候やなどと存候迄に而、存付も 無御座候。・・・扨かやうの処に至て困り候事に御座候。草々申残候。
トンシュ(頓 首)。五月廿五日。」此の如き
ショウリョウ(商 量) の書は常に二人の間に交換せられたことであらう。・・・」(注) *ショウリョウ:相談。意見交換。あれこれとはかり考えること。
(その百五十八)
「・・・文政壬午(五年)の六月晦に霞亭は駒籠阿部邸内の新居に移つた。此事実は下に引くべき書牘に見えてゐる。歳寒堂遺稿には先づ「移居」の五古がある。五山堂詩話の例を破つて収録した長篇である。詩中に「七月初め
イシ(移 徙) す」と云つてあるのは、
サイド(妻 孥) を迎へ
ヒッケン(筆 硯) を安んじた時を斥(さ)して言つたのであらう。・・・」
(その百六十)
「・・・又小学の校刻が功を
竣(お わ) つて、霞亭が自ら其一本を携へて岡本花亭を訪ひ、これを其子に贈つたのも、是月の末であつた。事は九月朔の花亭の書に見えてゐる。・・・」(注)*「功を竣つて」:ここでは「小学纂註」の刻成。
(その百六十三)
「・・・小学纂註は文政壬午(五年)九月六日に和気柳斎と田内月堂とに寄贈せられた。柳斎の復書はかうである。「謹読仕候・・・・・・・・」
月堂の復書はかうである。「
クンショウ(薫 誦) 。心ならず御疎音打過候所、はからず御手簡被投、忙手拝披、・・・
欣抃(きんべん) 無他事候。都下之
寒暄(かんけん) 俄混交、・・・御使いそぎ、其上肩背痛、
艸々(そうそう) 拝復、
トンシュ(頓 首) 。九の六。月堂上。霞亭先生。廿二日(八月)大風雨 の夜に。雨風にあれし軒はをもりかへて夢のとたとる夜半の月哉。
ハクサン(博 粲) 。」
「・・・小学の贈を受た二友の書中、月堂の書には頗る注目すべきものがある。 一、霞亭の小学は月堂が介して白河老侯に献じた。二、霞亭は和歌を詠じ、例に従つて月堂と岡本花亭との閲を乞うてゐる。三、菅茶山は文晃をして画を作らしめ、月堂に託して
ジュンピツ(潤 筆) 銭を
餽(お く)った。柳斎の書には特に言ふべきものが無い。・・・」(注) *クンショウ:お手紙拝見。手紙文の挨拶。 *ハクサン:ご笑覧に供します、の意。 *ジュンピツ銭:揮毫料。画料。
<コメント>「フスイ」は頭のヒラメキの問題・・・ヒントがたくさん文の中にありますので比較的容易かも。これは漢字や熟語だけ勉強していてもダメですね。文意からの想像力が必要・・・。「リンコウ」も連想力の問題。手紙や書のやり取りが多く、その種の専用の言葉も多くて手紙の書き方の勉強になりました(^^;)「ショウリョウ」がちょっと難しかったでしょうか・・・概ね出来る問題かと。1~2問の間違いであれば1級レベルの十分な実力があると思います👍
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