FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊へ

ギフト

2009-08-02 11:08:07 | 日記
十代、二十代には当たり前のようにこき使っていた自分の体。

勿論、大きな病気もせずにやってこれたこれたこともそうだし。

丈夫な体を親から頂けたことに感謝せずにはいられない。

「心技体」とはよく言ったもので、どれも欠けられないし

全てが独立したものではなく、つながっている。

何らかの壁にぶつかっても、心と技(スキル)と体(健康)を磨いていれば

まあ、大抵のことは乗り越えることができる。

超人の世界でサバイバルをしているわけじゃないのだから、これさえおさえておけ

ば、

かならず巻き返しを計れるという確信が沸き起こっていく。

心技体をベースに、時間をうまく味方につけられれば

当たり前だけど「勝つ」ことができるよね。

それはそうと、この「心技体」って重要なものの順に並べてある気がして

しかたないし、たぶんそうなんだと思う。

生きる術(戦う術)も、剛健な体も、「折れない心」が前提に存在している。

しかも、スポーツジムへ通って健康な体を作り上げていくとかと違って

心の鍛え方や磨き方というのは具体的な「形」としてないから、そこがまた

人間の面白いところだし、逆に「可能性」を突き詰めていくことに広がりを

感じることができる。

そこがまた面白い。

この現世において(うわァ、ちょっとシュウキョウぽいね)、存在するために

「借りている」自分の肉体や脳などは、間違いなく贈られたもの。

生物学的に考えれば違うところもあるかもしれない。

ただ個人的に言えば、自分の意識が始まった時には既に自分の肉体はこの世に

存在していたわけだから、それもある意味言えると思う。

現世で、自分のものとして使える「借り物」を土に?灰になるまで?

使い切る。まっとうする。これしかないと思う。

明日のためのその1・・・・

真っ白な灰になるまで、やるっきゃないんだよ!

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