中学3年のときから「反共」でした(R4.11.22)
令和4年11月22日火曜日「荒木和博のショートメッセージ」第952号。
中3のときバリバリ左翼の政治経済の先生のおかげで反共になり民社党員になったという話です。
反共と聞けば統一教会を連想します。
今や反社であり日本で最悪宗教団体と言われていますが、その実、どうなのかと思っています。
反共産主義ですから、統一教会の対極には日本共産党があり、
その広報誌はそれぞれ世界日報と赤旗になります。
主張や内容を見れば、私は世界日報を支持します。
破産させるほどの献金を求めた事は最悪であり被害者救済は必要でしょうが、
世界日報の主義主張は賛同できます。(世界平和統一家庭連合の教義は馴染めないものが多いですが)
ところがミヤネ屋を中心としたワイドショーの所為で、旧統一教会を擁護したら袋叩きに会うような日本社会。
なにかモヤモヤします。
反共を掲げた民社党。
民社党に所属していた荒木さんに旧統一教会についてのご意見を聞きたいです。
戦後、日本の政党は様々な変遷を経て現在に至っていますが、
自民党と日本共産党だけはずっと存在し続けています。(社民党は党名を変えても概ね同じ政党ですが)
時には野党になりましたがそれでも長い歴史、長い与党だったのが自民党です。
「自民社民さきがけ」と大連立もあり、現在は公明党との連立ですが、それでもずっと与党だったのは
それだけ日本人の信条に合っている証拠ではないでしょうか。
そして拉致問題に真剣に取り組んでいた政党が民社党だったと思います。
その中でも西村眞悟氏は特に熱心でした。
西村さんは国会質問で横田めぐみさんの事を始めて取り上げた議員です。
第140回 衆議院予算委員会 西村真悟質疑 (平成9年2月3日)
西村眞悟議員 国会質疑 1
国会議員の拉致問題解決の活動が見えませんが、地方では積極的に活動されています。
先週17日は奈良や大阪で講演会やデモ行進があったようです。
西村眞悟氏の次男、西村日加留氏⇩
・昨日は奈良にて第17回救う会奈良大会ならびに街頭デモ行進に参加。画像①
— 西村日加留 (@n_hikaru_osaka) November 20, 2022
・本日は大阪ブルーリボンの会、天王寺駅前街頭署名活動に参加。画像②、③
天王寺駅では「横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会」代表の池田様と一緒に皆様のお力をお貸しください!と訴えさせて頂きました。@Ikedam4 pic.twitter.com/z6MFzWzlxC
講演会では西村眞悟氏の他、西岡力氏、石平氏が講演されています。
横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから45年。未だに奪還できない日本国政府に被害者家族や我々も憤懣を感じる。拉致解決に向けて(11/19)に開催された第17回救う会奈良大会の応援に林英臣政経塾所属の地方議員有志が駆け付けて頂いた。救う会会長の西岡力教授と共に奈良市内をデモ行進を展開した。 pic.twitter.com/IZDXS2zW3r
— 奈良県議☆植村よしふみ(自民党) (@UemuraYoshifumi) November 20, 2022
安倍政権以降、自民党の粗探しばかりの左翼野党です。
それ故、政党としての活動には首をかしげる事が多いです。
岸田政権では親中、親韓であり、更には不適格者の閣僚たちが次々露呈している現状を見ると、
もっと真面な野党の存在が必要だと思ってしまいます。
当分選挙もないし、政権交代はないだろうと高をくくっている自民党。
北朝鮮がミサイルを日本目掛けて発射しても危機感がない日本。
国際法を無視する韓国に抗議するだけ、
拉致被害者を戻さなくても、ミサイルを発射されても抗議するだけ。
領海侵入されても抗議するだけ。
こんな日本でいいのか。
こんな腰抜けでいいのか。
そんな事を考えてしまいます。
参考:社民党の歴史 ⇩
民社党 - Wikipedia 社民党=社会民主党と言い間違いそうになりますが。。。。
民主社会主義[4][5]、右派社会民主主義政党である[2]。
●1960年1月に日本社会党の西尾末広、片山哲、水谷長三郎ら右派の国会議員が活動方針を巡る党内抗争の結果、離党して結成された。結成時の党名は民主社会党(みんしゅしゃかいとう)。1969年11月に改称し、1994年12月、新進党の結成に伴い解散した。
●反共を優先し、日本共産党を厳しく批判
●「民社党の掲げる民主社会主義」と社会民主主義は違う
●過去に所属していた現職国会議員⇩
●元職に西村眞悟
成立年月日 | 1960年(昭和35年)1月24日[1] |
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前身政党 | 日本社会党(一部)[2] |
解散年月日 | 1994年(平成6年)12月9日 |
解散理由 | 新進党への合流[3] |
後継政党 | 新進党[3] |
最初に北朝鮮の拉致疑惑を国会で取り上げたのは、1988年1月の衆議院本会議における当時の民社党委員長塚本三郎の代表質問である(1980年の公明党参議院議員の和泉照雄が拉致問題に連なるアベック失踪事件に関して参議院決算委員会で質問をしたことがあるが、質疑応答において北朝鮮という国名は出なかった)。その後も、西村眞悟や荒木和博など旧民社党関係者が積極的に拉致被害者救出のための活動に取り組んでいる。また、民主党政権発足後は拉致問題担当大臣に中井洽、柳田稔、中野寛成、田中慶秋と旧民社党の出身者が就任した。
※第2代委員長(党首)西村栄一氏は西村眞悟氏の父。