石垣市は平成22年に1月14日を「尖閣諸島開拓の日」とする条例を制定した。中山義隆市長によると、尖閣は歴史的にも日本固有の領土で、国際社会への意思表示とともに「国民世論の啓発を図るために制定した」という。

13日は、大戦末期の尖閣戦時遭難事件を描いたノンフィクション「尖閣1945」(産経新聞出版)の著者で作家・ジャーナリストの門田隆将氏と、尖閣周辺海域の実態調査を行っている東海大の山田吉彦教授(海洋政策)が記念講演した。

門田氏は、先の大戦末期に魚釣島沖で日本の疎開船が米軍機に攻撃され、数十人が犠牲になった尖閣戦時遭難事件や尖閣の歴史を説明。「中国が尖閣の領有を主張していることは歴史的にもおかしい」と指摘した。

山田氏は「平和を守るために何もしないで済むという時代ではない」と述べ、「私たちができることは、まず島の調査を行い、しっかりと管理することだ」と強調した。

市によると、14日の式典には、国政政党の代表や幹事長らが出席を表明しているという。

尖閣諸島は石垣市の行政区域にある魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖ノ北岩、沖ノ南岩などからなる島々の総称。明治17(1884)年、福岡県出身の実業家、古賀辰四郎氏が同諸島を探検し、羽毛の価値が高いアホウドリが多く生息し、近海にはカツオの群れが回遊していることが判明した。

日本政府の調査で、清の支配が及んでいないことを確認し、明治28(1895)年1月14日沖縄県八重山郡石垣村(現・石垣市)に編入された。明治期から昭和期にかけて羽毛採取やかつお節の製造などが営まれ、最盛期には魚釣島や久場島などで99戸、248人が暮らしていた。

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