4月初めの昼下がり鶴岡八幡宮の牡丹苑を訪ねました。毎年満開の桜を楽しみにして来るのですが、今年は少し出遅れたようです。桜花なぜにそんなに散り急ぐのか。折角の牡丹との共演が台無しです。それでも花毛氈の中に咲く満開の牡丹の花は楽しめました。
『花ことば辞典』によれば牡丹は〈花王〉と讃えられるようです。その大輪の豪華な花がそう呼ばせるのでしょう。花言葉は花王の異名から「風格」「高貴」。その上に咲く桜の花言葉は「独立」。また美しい花姿から「優美な女人」。この牡丹苑の桜は染井吉野ですね。江戸時代に〈大島桜〉と〈江戸彼岸桜〉を交雑して作り出された最もポピュラーな桜です。江戸染井村の植木職人が売り出したヒット商品で瞬く間に全国に広がりました。満開の桜は本当に豪華で新しい門出に相応しく校庭に植えられ、また花見客が地面を踏み固めるということで土手に植えられたりしました。
京都に住んでいたころ、秋の紅葉と春の桜と比較して都人はどちらを愛でたか考えたことがありました。確かに紅く染まる紅葉は美しい。ただこれから寒い冬が来ると思うと心から楽しめない。それほど京都の冬は寒々しいです。マンションの2階の部屋でも底冷えで初めての冬は眠れませんでした。それに比べ春の桜は希望に満ちています。これから暖かくなると思うと、それだけで心が浮き立ちます。そして京都の桜は染井吉野と違い紅色が濃いですね。そして枝垂れ桜が多い。それほど桜が咲くのが待ち遠しくなります。
花見にと群れつつ人の来るのみぞ あらた桜の科(とが)にはありける
西行の詠んだ歌です。白洲正子は諧謔めいた歌と言ってますが、なにかわかるような気がします。コロナ感染防止のために花見を禁止し、なにも柵まですることはないかと思うのですが、あらた桜に罪があるわけではないのに・・・。