伏見稲荷大社から送られてくる季刊誌『大伊奈利』を読んでいたら面白い記事がありました。浅見和彦氏(成蹊大学名誉教授)が書いた「伏見稲荷は恋の神」というタイトルです。そこに2月(きさらぎ)の初午の日の話題が出てきます。なんでいまさら寒い時期2月の話を持ち出すのかと思う方もおられるかもしれません。新暦の初午の日は2月初旬。昔は旧暦でしたのでひと月半ほど季節は下り、3月中旬から下旬ころです。そして文中に「清少納言の稲荷詣で」という話が紹介されています。あの「春はあけぼの・・」からはじまる『枕草子』のなか、[158]の「うらやましげなるもの・・」の個所です。
「稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほど、わりなうくるしきを、念じのぼるに、いささかくるしげもなく、おくれて来とみる者どもの、ただ行きに先に立ちてまうづる、いとめでたし。二月午の日の暁にいそぎしかど、坂のなからばかりあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらんものを、なにしに詣でつらんとまで、涙もおちてやすみ困ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただひきはこえたるが、「まろは七度詣し侍るぞ、三度は詣でぬ。いま四度はことにもあらず、まだ未に下向しぬべし」と、道にあひたる人にうちいひて下りいきしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやとおぼえしか。」
清少納言が初午の日に稲荷の山に願掛けのため登ることも意外ですし、昼近くなってきて暑くなってかなわんと音をあげているところも面白いですね。そして健脚のおばさんが自分を追い越していく姿をみて羨ましく思うところも現代人と少しも変わりません。なんとも清少納言に親しみを感じました。写真は伏見稲荷山の参拝路図。標高200m位の山で、件のおばさんはここを1日7往復して願掛けしていたようです。
さてこのブログを書いていて、60年位前に父親に連れられて稲荷山を下ノ社から上ノ社まで参拝登山をしたのを思い出しました。その時画いた絵が小学校のコンクールで賞をもらったのを覚えています。長い人生で絵画コンクールでもらった最初で最後の賞でした。なんとも情けない話です。