人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --広町の大桜 夕暮れ時に訪ねる--

2022-04-07 20:14:00 | 日記

また一年生きたことを実感するために今年も広町の大桜を訪ねました。それも日没間際。案の定根元から見上げても花は夕暮れ時の空に同化してしまい、よく見えませんでした。遠くから眺めた山の桜は陽に照らされキラキラとしていたのに・・・。子供を連れた父親が「折角来たのに大桜はもう散ってしまったね。この大桜は他の桜より早く咲くみたいだね。残念だけど来年また来ようね」と子供に言い聞かせていました。実際はまだ花をつけていたのですが、暗くなって花の姿を見つけられなかったと思います。この大桜はかなりの老木で花の間に隙間があるようです。

『山家集』をめくってみたら西行の歌がありました。

--老木の桜のところどころに咲きたるを見て--

・わきて見む老木は花もあはれなり今いくたびか春にあふべき

かく言う私も今年七十歳になります。あと何回この大桜を見ることができるでしょうか?と言っても、百歳まで生きるとすれば30回。この大桜がいつまでも元気でいてくれるように願うばかりです。

もう数首西行の歌。

・ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃

・年を経て待つと惜しむと山桜心を春はつくすなりけり

・花もちり涙ももろき春なれや又やはとおもふ夕暮れの空

やはり春は桜がいいですね。咲いても好し、散っても好し。また来年花の下に来てみます。

 

 

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鎌倉を知る --大船観音寺の春--

2022-04-07 07:35:48 | 日記

小学生のころ、名古屋から国鉄東海道線に乗り上京した際、この大船観音を見ると親はもうすぐ着くと励まされたものでした。この観音様は『かまくら子ども風土記』によりますと、1954年に曹洞宗永平寺高階管長を設立代表者として、著名な人々の協力を得て、大船観音協会が設立され、1957年に起工、1960年(昭和35年)に完成したとあります。私は1952年生まれですから、大船観音を目にしたのは、完成後間もないころです。今も曹洞宗のお寺として大船のシンボルであり続けています。

写真は4月5日に写したものですが、桜の衣を身にまとった大船観音はいつにもまして神々しく見えました。この観音様の作者は彫刻家山本豊市で、奈良の法華寺の十一面観音をイメージて大船観音の1/20の原型を製作、それを基に観音像が造られました。あのふくよかなお顔は光明皇后のお姿に似せたものだったのか、今さらながら、なるほどと納得しました。

毎日のようにウクライナの状勢が報道されており、新たな事実に衝撃を受けています。大船観音は平和を祈願しして建立されたものです。早くウクライナの人々にもとの平穏な暮らしが戻るようにと、観音様の微笑みをみて祈念いたしました。

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