また一年生きたことを実感するために今年も広町の大桜を訪ねました。それも日没間際。案の定根元から見上げても花は夕暮れ時の空に同化してしまい、よく見えませんでした。遠くから眺めた山の桜は陽に照らされキラキラとしていたのに・・・。子供を連れた父親が「折角来たのに大桜はもう散ってしまったね。この大桜は他の桜より早く咲くみたいだね。残念だけど来年また来ようね」と子供に言い聞かせていました。実際はまだ花をつけていたのですが、暗くなって花の姿を見つけられなかったと思います。この大桜はかなりの老木で花の間に隙間があるようです。
『山家集』をめくってみたら西行の歌がありました。
--老木の桜のところどころに咲きたるを見て--
・わきて見む老木は花もあはれなり今いくたびか春にあふべき
かく言う私も今年七十歳になります。あと何回この大桜を見ることができるでしょうか?と言っても、百歳まで生きるとすれば30回。この大桜がいつまでも元気でいてくれるように願うばかりです。
もう数首西行の歌。
・ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃
・年を経て待つと惜しむと山桜心を春はつくすなりけり
・花もちり涙ももろき春なれや又やはとおもふ夕暮れの空
やはり春は桜がいいですね。咲いても好し、散っても好し。また来年花の下に来てみます。