人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

東海道中膝車 --新居から吉田ーー

2020-12-26 20:02:05 | 旅行

令和二年もあとわずか。今年は何もかも新型コロナに翻弄された一年でした。私もボランティアの仕事が大半中止となる中、いかにモチベーション維持を図るか?我が身に課した課題の一つが東海道五十三次の完歩でした。まだ現役の頃に日本橋から戸塚まで(43.2㎞)。平成27年2月から10月にかけて京都の三条大橋から鳴海まで(131.2㎞)。今年の2月に再開し、この日までに戸塚から新居の240.7㎞を歩きました。なんとか年内に目途をつけたいと今回は二泊三日の行程です。幸いGO TOトラベルとジパング俱楽部も利用でき、ちょっと後ろめたさも感じつつ、全く一人の孤独な旅を楽しみました。

藤沢を朝6時40分発のJR東海道線に乗れば、浜名湖入口にある新居町駅には9時7分に着きます。これであれば日没前の16時くらいに吉田に着くことが可能です。山頭火の句碑「水のまんなかの道がまっすぐ」を見つつ歩きはじめました。途中、浜名の町は阿仏尼ゆかりの場所。『十六夜日記』に「高師の山もこえつ、海見ゆるほどいとおもしろし。浦風あれて、松のひびきすごく、浪いとあらし。」とあります。その先は潮見坂。歌川広重の白須賀(汐見坂ノ図)でご存じの方もいると思います。潮見坂上の休憩所には織田信長が武田勝頼を滅ぼした時、家康が茶亭を設けてもてなした場所の案内もありました。写真は今の潮見坂からの眺めです。その先の境川を渡れば愛知県です。振り返ってみればこれまでの行程のほとんどは静岡県。東海道の沿線が最も長い県ですね。

白須賀から二川まではキャベツ畑の中を国道1号に沿って歩きます。二川宿にある豊橋市二川宿本陣資料館(入館料400円)に着いたのが13時前。折角なので入館して江戸時代の宿場の様子を学びました。展示内容が親切なので一度入ることをお薦めします。二川から吉田宿の起点である松葉公園に着いたのが15時過ぎ。ここからは明日の行程を考え、さらに先のJR飯田線小坂井駅近くまで行くことにしました。豊川と豊川放水路を越え、16時30分頃に小坂井に到着。むむむ・・。この駅の二つ先が豊川稲荷ですか。一度参拝したい所でしたのでこれも旅の楽しみ方。明朝行くことにしました。

 

 

 

 

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塩沼亮潤大阿闍梨を知る

2020-12-22 17:30:25 | 日記

以前このブログで夢窓国師の『夢中問答』を読み始めたと書きました。この問答の相手は足利直義。足利尊氏の弟で室町幕府開創時のナンバー2の権力者です。一方の夢窓国師は臨済宗の僧ですが、鎌倉幕府、朝廷、室町幕府のトップがこぞって教えを乞うた人物でもあります。どれほど傑出した人物でも決断する時には必ず迷いがあります。その迷いの中から一筋の道を見い出すのに、いにしえの古典・故事などを熟知した優れた先達の一言が導くことがあります。それは占いとは違い、自身もそれなりの経験や学識がないといけません。何故こういうことを書くかと言えば最近の政治家の傍にそういう優れた人物がいないことを嘆いているからです。最近の出来事をみると余りにも嘆かわしく、情けなくなります。ちょっとでも諫言する人がいないのかと・・・。

こんな気持ちで鬱々とした日を過ごしていましたら、先週の土曜日の朝に「サワコの朝」をみていましたら塩沼亮潤という方が登場していました。全く知識がなかったのですが、番組の中や後で調べてみて、大峯千日回峰行、四無行、八千枚大護摩供の厳しい修業を成し遂げた方だと知りました。書いたものを見ても実感が湧かないのですが、本人の口から修業の内容を伺いますと、なるほど悟りを得るための修業とはこういう壮絶なものかと・・・。しかし塩沼大阿闍梨の座った姿勢、話す言葉は真に謙虚で、これだけの苦行を耐えてきた方とは思えない清々しさを感じました。それに実績があるので言葉に嘘がありません。慈眼寺のHPにあった言葉です。

一日を過ごせたら 心のなかで「ありがとうございました。」と感謝すること。

全ての出会いに感謝して 常に自分を省みて どんな存在にも敬意を払い 謙虚に素直に生きて 人生を楽しむことです。

なんとも心にしみます。写真は塩沼大阿闍梨が最初に修業した吉野山の金峯山寺です。何回も行きましたが、桜のシーズンは最高でした。

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東海道中、見納めの富士山

2020-12-19 11:26:20 | 日記

東海道歩きの楽しみの一つは街道筋で富士山を見ることです。さてクイズです。富士山のお膝元である静岡県で最西端のビューポイントはどこでしょうか?本日の道筋でも天竜川の橋の上からも山の上に頭を出した富士山が見えました。これが最後かな思ったのですが、写真を見てください。浜名湖の西浜名橋の上からも遠くの山の上に約130㎞位先の富士山の姿が見えました。全く予想していませんでしたが感激しました。新幹線の左上方にかすかに見えます。多分空気の澄んだ冬でないと見えないでしょうし、富士山に雪があれば白色が周りに溶けこんで見えずらくなるでしょうから、山頂に雪がほとんどない今年だから見えたかもしれません。但しこれは根拠ない仮説です。富士山の西側の平地から見える最後の富士山でしょうか・・・。

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東海道中膝車 --見付から新居ーー

2020-12-19 10:10:05 | 旅行

昨晩、浜松に泊ったこともあり、8時にはJR磐田駅に着き、駅近くの再スタート地点から歩きはじめました。今日の見どころは天竜川を渡るのと浜名湖の景色を見ることです。静岡県を踏破するのもあとわずか。富士川、大井川、天竜川の三大河川を徒歩で渡ることも出来ました。いずれも川幅は十分。静岡県は恵まれた豊かな場所だと歩いていてつくづく実感しました。余談ですが、どうしてリニア新幹線の建設に反対するのか、その意味がよく理解できませんでした。

さて昨夜泊った浜松のホテル近くに着いたのが11時頃。浜松からは今は県道257号線、316号線になっている旧東海道をひたすら舞坂宿を目指します。実は電車に乗って昨日下見していますので二度目になります。JR舞坂駅の近くにある春日神社には13時半頃に着きました。ここまで見付宿から六里半十九町、約24㎞になります。5時間半で歩きましたので平均時速4㎞の歩みでした。途中の信号待ちや休憩時間を入れれば年甲斐もなく十分なペースで歩いたことになります。年が明ければ古希を迎えますが、この東海道歩きは健康維持に最適です。

春日神社から舞坂宿の本陣、脇本陣がある舞坂の渡しまでは多分東海道筋で最もよく保存されている700mある松並木を宿場レリーフを眺めながら歩き、舞坂漁港に14時過ぎに着きました。ガイドブックの表示もここまで。新居宿までの6㎞はオプションです。漁港近くの堀江商店で新海苔を買ったりしてJR新居駅で15時41分の電車に乗り浜松まで戻りました。浜松から東海道線の熱海行普通電車を利用。それでも21時前には藤沢に戻ることができました。

 

 

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舞坂漁港の夕景

2020-12-19 09:16:29 | 日記

写真は17時半頃に舞坂漁港で写したものです。辺りはすっかり暗く(冬至は21日)、右にライトアップされた海上に浮かぶ弁天様の鳥居。ズームにすれば左の空に三日月が見えます。この景色が見れただけでも魚あらの地図未確認の件は帳消し、ビールも飲めて楽しいひと時を過ごすことが出来ました。何事も前向きに考えることにしました。

ところで今朝の「サワコの朝」の塩沼亮潤師の話は素晴らしかったですね。古典の仏教書に書かれている言葉の意味がほんの少し理解できるような気がしました。

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