木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

亀田鵬斎

2010年07月04日 | 江戸の人物
江戸時代に亀田鵬斎という人物がいた。
儒学者で書家として有名だったが、今日的な考えでいけば、「大馬鹿野郎」である。
浅間山噴火の際には私財を投げ打って被災者の救済に当たるし、赤穂浪士の際にはこれまた私財をはたいて泉岳寺に石碑を立てている。
独り身ではなく、家には妻も子もいる身である。
有り余る金ならともかく、使ってしまえば明日からの米にも事欠く大事な金子である。
それを妻子に相談もなく、自分の義と思う事柄にポンポンと使ってしまう。
「いい人」には違いない。
だが、傍からみれば美談でも、当事者では堪らない。

この鵬斎に次のようなエピソードがある。
年末に集金のために越後に行っていた鵬斎は、江戸も間近となった浦和で、泊まった宿が異様に暗い雰囲気に包まれているのを感じ、主人に仔細を問う。
主人は答えて曰く、借金のかたに娘を売る必要がある、と。
借金の額を聞くと、百両とのこと。
このとき、鵬斎の財布にはきっちり百両が入っていた。
鵬斎は、一瞬躊躇したものの、有り金全部を置いて宿を逃げ出すように飛び出す。
家に帰った鵬斎は、妻にもさすがに本当のことは言えずに、布団を被って寝込んだ振りをする。
そこに友人の著名な画家である酒井抱一が来て、問いただすと、さすがの鵬斎も嘘をつけず、本当のこと話す。
すると、抱一は、「さすがは鵬斎である」といって、年末の払いなどをすべて肩代わりししたので、鵬斎はやっと年を越せたそうである。

美談である。
だが、自分が鵬斎の妻の立場だったらどうであろう。
鵬斎が出した百両の金で浦和の宿の一家は助かったが、そのあおりを受けて、鵬斎の一家は飢え死にしてしまうかも知れない。

ただ考えてみると、集金から帰ってきた主人が金も渡さずに黙って寝込んでいる。
それまでの鵬斎の心情を知っている妻からすれば、舌打ちはするが、「またか」と思ったに違いない。
家計費にも困るのは明らかであるのに、夫を詰問して「改宗」させようとしない妻も「馬鹿者」である。

抱一というのも「馬鹿者」である。
貸すのではなく、惜しげもなく自分の金を与える。
利益などあろうはずもないのに、損な行為を続けている。

現代には、ホリエモンなる怪獣もいた。
ホリエモンによると「金こそすべてのパワー」だそうである。
そう考えたら無償で金を提供するなど、自己のパワー低下を招くだけに過ぎない。
きっと、馬鹿だったのであろう。

江戸時代、亀田鵬斎という大馬鹿がいて、妻も大馬鹿で、さらには友人にも酒井抱一という大馬鹿がいたという事実。
現代は利口な者ばかり。
どちらが社会として成熟していて、どちらが幸福なのだろう。
江戸時代をうらやましげな目で見てしまうのは私だけだろうか。

ここに生きる道がある 花岡大学 PHP

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