木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

反本丸

2010年07月28日 | 江戸の味
夏バテ気味である。
特に頭が働かない。
やる気モードも低下していて、少し様子見の状態。

こんなときは食べるに限ると食べ放題に行ったら、翌日はひどく調子が悪かった。
食べ放題とセットだった飲み放題のせいか?

江戸時代は動物性たんぱく質を食生活で摂ることが極端に少なかった時代で、同じように夏バテで悩まされた人も多かったのではないだろうか。
江戸時代の人の労働時間は現代に比べてかなり少なかったので、楽だったかのような表現を見かけるが、今も昔も忙しい人は忙しかったし、責任のある人物にかかるプレッシャーやストレスの度合いも現代と変わらなかったように思う。
名誉を重んじる武士の生活は現代より厳しかったかも知れない。
この時代、動物の肉を食べる人間は少数派であったが、現代でいうジビエのような感覚で一部の好事家には食されていた。
その際は、薬喰い、などと称して、馬を桜、イノシシを牡丹などと呼んだのが、現代の呼び名にも残っている。
徳川慶喜の豚肉好きは有名で、当時から「豚一殿」などと呼ばれていた。
牛は農耕の貴重な動力であり、積極的には食されなかった。
滋賀県彦根では、死んだ牛の皮を加工する職人がいて、彼らは余った肉を食した。
その習慣が、彦根の牛の味噌漬けを生む。
この味噌漬けはグルメ食としてではなく、滋養強壮剤として捉えられていた。
中国の「本草綱目」にヒントを得て「反本丸」(へいほんがん)なる薬も作られた。
彦根博物館に行くと、病気の娘に牛肉の味噌漬けを与えたところ、すぐに快癒したと記す寺社奉行からの令状が飾ってあるが、いったい、どんな病だったのであろう。

この牛肉を貰った人物に意外な人物がいる。
大石内蔵助である。
老齢の堀部弥兵衛におすそわけをしたときの文が残っている。
息子の主税は、若いから却って害になるので食べさせない、などと書いているのが興味深い。

後に宿敵になる水戸の徳川斉昭にも井伊直弼が贈っている。
嘉永元年であるから、安政の大獄の始まる11年も前のことである。
毎年のように所望していた中に、松平丹波守光年という人物がいる。
丹波守は、松本藩の藩主であった。
戊午の密勅は、孝明天皇が幕府を飛ばして、水戸に直接指示を与えたものであり、命令系統を無視したものである。
それだけに、幕府は頭から湯気を立てて怒り、大老の井伊直弼が安政の大獄を始めるきっかけともなった。
この戊午の密勅の仲介を図ったのが、松本藩の名主であった。
皮肉といえば、皮肉な巡り合わせだ。

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