外は寒いので今日も古い写真データを整理して時を過ごした。
今、頑張っているのは2011年4月下旬のデータ。
私は京都にいたようだ。
記憶は朧だが、写真を整理していると何処を動き回ったのかが蘇る。
2011年4月24日 早朝、私はホテルから京都の東山に向かって歩いていた。
目指したのは清水寺だろう。
酔客のいない静寂の先斗町(ぽんとちょう)を通り鴨川を越えて建仁寺勅使門前を通り八坂の塔への道を選んでいた。
この八坂通りは緩やかな上り坂だが、東大路通りの交差点を過ぎると道幅が狭くなり傾斜も増して京都らしい趣を感じる道になる。
目の前に見える八坂の塔(法観寺)を見ながら歩くと坂道であることも忘れる程気持ちが高ぶる。
少し寄り道して秀吉の正室であった高台寺前の「ねねの道」。
秀吉が亡くなった後、豊臣の敵であった家康が「ねね」の為に建ててくれた寺だ。
大坂冬の陣前に家康が秘密裏にこの寺を訪れ、「ねね」に大阪城を攻める旨の了解を得たような、そんな気がしてならない。
ねねは「既に僧籍に入った身、現世(うつしよ)のことはお好きになさいませ」と秀吉が建てた城攻めを承認したような気がする。
この先、清水寺に向かう道は幕末期、龍馬をはじめ維新の志士達や新撰組が走り回った通り。
その一角にミステリーの女王、山村美紗の家があり、西村京太郎も一時住居を構えていた。
日中は渋谷並に混雑する清水への二年坂、三年坂も早朝は人通りが無い。
ゆっくり写真を撮りながら清水寺へ向かったようだが、寺の写真が無い。
と云うことは、切迫した事態が発生したのだろう。
辺りにコンビニは無く、早朝は店も開いていない。
どの道を下り、無事に事態を収束できたのか否かの記憶が無い。
でも大丈夫だったのは確かだと思う。
古都を汚した記憶は無い(キッパリ)。