大徳寺は京都市北区にある寺院で、臨済宗大徳寺派の大本山。
境内は広く多くの塔頭を持つが、この寺を歴史に登場させたのは、秀吉と千利休との確執にある。
信長公の下、茶の湯の師弟関係を築き交流が深かったのに、本能寺の変後少しずつ距離を置き確執が生まれた原因は色々取り沙汰されている。
金ビカで派手好きの秀吉と質素で侘びの世界を好む利休。
千利休と各大名が交流を深め、茶道具の目利きをする度に多額の付け届けをし、利休の茶道具を高額で買う人が出て嫉妬したとか、利休の娘を秀吉が側室として所望したのに断られたとか、まぁ色々だ。
利休と大徳寺にも茶の湯を通して深い親交があり、三門(金毛閣)を改築したときに利休が多額の寄進をしたことに謝辞を示す形で寺が三門の上層に雪駄を履いた利休の木像を置いたところ、参詣者は利休の足下を通ることになり、これが無礼だと豊臣秀吉の怒りを買い、罰を与える口実を作ってしまった。
その結果、秀吉との師弟関係は崩れ、利休は切腹へと追い込まれた。
因みに、因縁の木像も磔になった。