ニ・三十年前「エントロピーの法則」という言葉が流行った。どんな物にも最盛期があり、時間と共に衰退していく現象を捉えて社会的にこの言葉が流行りになっていた時期がある。確かに、「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり‥‥」と同じで、あれほどと思われる企業でも長い時間のスパンで見ると、栄える時と衰退する時はあるのだろう。
昨日、別府の竹問屋の奥さんから電話を貰った。今年の初めにこの問屋さんは倒産したのだが、仕事以外のお付き合いは今でもある。ここの問屋さんは先代のお婆ちゃんが興した会社で、そのお婆ちゃん一人で別府の顔となるような問屋に育てた。最初は小さなお店だったのだが、このお婆ちゃんがやり手で、今でも別府の土産物店に行くと「小さな竹の鈴」が売られているが、この竹鈴で大きくなったのだ。たかが、百何十円の土産物であるが、その鈴を全国の土産物店に卸すと相当大きな商いになる。
世の中には「あの婆ちゃんは鈴で財を成したのだ!」と感嘆と、またはあざ笑うかの様な言い方をする人もいたが、私はこのお婆ちゃんの経営感覚は「凄い!」といつも感心していた。生産者価格にしたら何十円のこの鈴を毎月、何十万個も卸す販路を作り、全国何処へ行くにも必ず、竹鈴を持ってピーアールし、全身全霊を掛けていた。それと同時に、当時の内職仕事として何十人と家庭の奥さんの内職仕事の組織を作り上げたのだ。たかが、何十円の竹鈴が毎月何百万の商いに変わっていくのである。「竹鈴」と一言で簡単に言う事は出来るのだが、その竹鈴を商品として育て上げるには並大抵の才能、努力があった物と思われる。竹鈴が50年間、お店を支えて来たのである。
しかし、エントロピーではないが、何時までも何時までも最高の状態は続かない。絶えず、次の作品作り無くして、明日はない。私も竹細工を始めて22年になるが、この間にも売れるものはどんどん変わっていった。明日につながる試行錯誤を繰り返しながら、工房全体の方向を探っていかないと、直ぐにでもエントロピーはやってくる。