新聞配達と言えば、私は小学校5年生の時から、小遣い銭稼ぎに新聞配達をしていた。子供の肩に200部近い新聞をぶら下げて、毎朝、新聞を配った事は良い経験になっている。冬の寒い朝、真っ暗な中、かじかんだ手を擦りながら配達に向かう。「今日はもうサボりたいな!」と思っても、子供心に毎日待ち詫びている人達の顔が思い浮かび休むことが出来ない。
なぜ、こんな事を急に書いているのか?と言うと、私の家にもこの9月から新聞配達が届く事になったのだ。20年住んでいて新聞配達は永遠に無いだろうと思っていたが、幸運にも運送やのお爺ちゃんがアルバイトで新聞配達も始めたようだ。本当にありがたい。「南無阿弥陀仏、なんまいだー!」
限界集落(65歳以上が人口構成の50%以上の集落を言う)と呼ばれるこの萱籠地区。山間部の過疎地には新聞配達は無かったのだ。では、どうであったか?というと、新聞は郵送されてくるのだ。郵便屋さんが持ってきてくれるのだ。しかし、いつも新聞が届くのは午後3時ごろ、仕事をしているとそんな時間に新聞を読むことは無いので、結局夜読むことになる。いつも、半日遅れの情報であった。
インターネットも未だに電話回線しかないので、大切な情報を落とすのに半日係りだったりする。電話も掛けてから、半日後にしかかから無い!そんなことは無いか?
でも、どういった気まぐれか?新聞配達がされる様になった。ありがたい。朝、9時くらいに運送屋のお爺ちゃんが軽自動車に乗ってやって来る。後光が差して見えます。お爺ちゃんいつまでも元気でいてね!