エベネザー・ハワード、地域開発論の講義で、教わった人の名である。
イギリス人で速記者をしていた人らしい。
イギリスの産業革命期、エンクロージャーという地主による土地の囲い込みによって、それまでその土地を借りて農業に従事していた人々が失業し、職を求めて都市に流入していった。その結果、上下水道も整備されていなかった都市部は急激な人口流入によって汚れ、さすがに上下水道などを整備しなければ、衛生的に悪化し、ウイルスが発生する事態を改善することができないことに気づいていった。そしてインフラを整備していった。
一方、都市のごみ収集や清掃などの雑用に従事する労働者はお金がないために、夜中もうろつきまわり、スラムを形成していった。これは解決しなければまずいと大勢の人が効率的に住める住宅地・団地を創り始める。
逆に金を持った知識人・文化人は郊外へと逃れていく。といっても歩くにはきつい距離でせいぜい10キロ20キロの距離だったそう。そして営利目的の民間企業(デベロッパー)は、都市郊外に鉄道を敷設し、公園などもつくり、土地に付加価値を付け、金持ちの需要に答え(供給し)ていった。
また、中にはこう考えて来る人も出現した。「デベロッパーが儲かるのではなく(営利目的ではなくて)、金持ちでもなく、一般の労働者が暮らすことができるような、その地域に住む人々に利益を還元することができるような職住接近型住宅地、田園都市を創ることができたら、いいのにな~と」そうした考えをもつ人々の中心にいたのが、エベネザー・ハワードその人である。彼はこうも考える人間だったらしい。政府は基本的には非効率な組織だ。民間にできることは民間がやるべきだ(現在の日本にもいっている人がいますな)。
そして、彼は自分の思いを理解してもらうために講演して周る。その中にはもの好きなお金持ちがいて、ガーデン・シティ・アソシエーションという協会ができたりしたらしい。そのメンバーの中にはあのジョージ・バーナード・ショーなんかもいたそうな。しかし、うまくいかなかったらしいのです。株式会社の株を買い取って、高く売ってしまおうとか、いろいろな思惑を持つ人がいたために。現在ではその郊外都市レッチワース、ウェリーといった名の都市は存在するが、超高級住宅街(いわゆる金持ちのステータス住宅地)になっているらしい。
しかし、その後、労働党が政権を握っているとき、皮肉にもこのハワードの考え方、アイデアがパクラれて公的セクターが乗り出して、一般労働者が住めるような住宅地を都市郊外に建設していったらしい。
このハワードの街づくりアイデアは日本のあの田園調布(あの田園都市線)にも生かされていると聞いたときには驚いた。面白い考えですね。こういう地域開発の考えを何とか途上国の経済発展モデルに活かせたら良いのに、と思うのであります。