自己と他者 

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国家と歴史

2006-05-31 09:19:52 | 歴史・思想・哲学

この瞬間も時間は流れ、やがて時代が変わる。

しかし、歴史は繰り返す。

 国家の壁を超えようと試みた国は多い。

しかし、だからこそ、そこには矛盾もはらんでいた。

スペイン・ポルトガルはそれに失敗し(19世紀初め)、17~20世紀にかけて、イギリス、オランダ、フランス、ロシアと続き、どれも失敗し、だが、失敗したからこそ、今のEUに至ったのである(結果論だが、歴史は結果の積みかさねだ)。これはアウフヘーブンか?矛盾が内在していないと物事は発展しないのか?

 世界は、国と国は、通信・ITの発達によってつながっていることが眼には見えないが、意識できるようになった。そのうち世界は、より宇宙船地球号のようになるだろう。どこかがポシャレば、連鎖倒産していく。アジア通貨危機のように。組織体としての企業、個人としての人間、それらを充足させる資金の流動性は高くなる一方だ。世界恐慌が起こりやすくなった。そのとき、国は、政治をつかさどる人間はどのような行動をとるだろうか。壁を設けるか。それは可能か。ともに解決しようと手を取り合うか。それとも一緒に不幸を受け入れるか。

きっと、また歴史は繰り返されんだろうな。そのときまでに自分が守りたいと思う範囲の人や組織は守れるような実力を身につけていたい。その実力は状況を把握する力であり、ドメインを認識する力であり、方向を定めたり、誘導したりする力なんだろうと漠然とだが思う。

(参考 ピーター・ドラッカー『ポスト資本主義社会』ダイヤモンド社 )