自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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ピーター・ドラッカー『ドラッカーの遺言』

2006-06-03 16:36:12 | 小説以外 

ピーター・ドラッカー窪田恭子 訳『ドラッカーの遺言』(講談社)を読んだ。

以下、メモ

●グローバリゼーションについて

真にグローバル化をなし得たものは情報のみである。

日本人は英語が苦手な人が多く、日本語は他国の人にとって非常に難しい言葉である。歴史的にはその言葉の壁が日本を守ったが、今後は弱みとなり、苦労することになる。世界の情報は英語で流通しているからである。

●ブロック化

NAFTA、EU、ASEAN

●混沌としている世界秩序のカギとなる国はイギリスと日本である。

イギリスはEUとアメリカをつなぐ役目を担い、日本はアメリカとアジアを結ぶ役目を担う。そういう意味でこの2つの国がカギ。

●日本が直面しているのは危機ではなく、時代の変わり目である。

問題重視型思考でなく、機会重視型思考であるべき。変化した現実に考え方をすり合わせていく過程にこそ、好機は訪れる。

●労働を担う世代の問題

今後の20年間で定年は74歳まで上げざるをえないと予測。

●1990年代のツケを清算する形で進められてきた日本の改革は50%ほど完了したと見ている。残りの半分は2008年~2010年にやり遂げられるだろう。

●視野を広げよ

日本の若い世代の人たちには20代から遅くとも30代前半のうちに少なくとも2~3年は日本を離れて他国で働く経験を積むことをお勧めしたい。

私が接してきた日本人の中には、視野が狭く「世界について十分な知識が備わっていない」と感じさせる人が多数存在しました。

⇒学ぶべき課題は日本の外にいてこそ得られる。

●経営

「目的は何で、そのために何をすべきか?」                  あらゆる組織、職業を通じて換わることのない不変な問いかけ。

経営の本質は?と聞かれて問い返す質問は次の三つ。

①あなたの事業は何か?何を達成しようとしているのか?何が他の事業と異なるところなのか?

②「あなたの事業の成果を、いかに定義するか?」

③「あなたのコア・コンピタンス(独自の強み)は何か?」

⇒「成果を得るために、どんな強みを行かして、何をしなければならないのか?」

カリスマ経営者は害でしかない。「経営者が一般社員の20倍以上の給料をもらう。それは誤った経営である(JPモルガン)。」普通の人が良い経営をすることができるようになることを目指して、私は経営教育を手がけてきた。

●個人のイノベーション

常にスキルアップを心がけることで自らの未来を切り開いていくことができる。

自分が何を得意とするかを知り、磨きをかけていく。これこそイノベーションの要諦であり、成果を上げ続けるための唯一の方法。

 キャリアの早い段階から長所を探り出し、それを確立し、発展させていくことが最も重要。

キャリアをどのように見出すか?答えはその人のそれ以前のキャリアにある。何をうまくこなし、うまくできなかったことは何か。

「何をすべきか」という目標をしっかりと見据えた上で「うまくできたこと」、「うまくできるであろうこと」、「伸ばしていく必要があること」を追求していけば、おのずと自分の強みに行き当たる。

この人から学ばなくてはならないところはたくさんある。


既存のマスメディア・市民(あるいは、いち個人)メディア

2006-06-03 02:26:48 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

TVメディアの機能「注目を集める」について

中でも政治参加を促す面のあるプレス(報道)について。

 スポンサーは、番組の合間に流れるCM時間枠(広告媒体)を広告代理店を通じて買取(言わば代理店は手数料をいただくブローカー)、その金でTV放送会社は成り立っている。メインは、番組ではなくCMなのである。このような収益モデルのために、報道番組でさえこのビジネスモデルの影響から免れることができなくなってしまった。高い視聴率を獲得する。つまり、できる限り多くの注目を集めなければ、放送会社にとって、スポンサーが減少することは収入減を意味し、それが続けば事業として成り立たなくなり、倒産するからである。視聴率の過当競争がこのような現実を生み出した。

 「公器としてのメディア」とか誰かが言っていたが、上場していれば、その上場企業にとっての公とは誰を指すかといえばそれは当然株主である。

 だから現実は、まじめな内容(社会の悪い面をどう解決するか)を追求するような番組は、大衆の興味外にあるために作成されず、大衆がほっとする、癒される、笑える番組に駆逐され、報道さえも大衆迎合的な、劇のような放送となってしまうのである。例えば選挙でマニフェストより刺客騒動を報道番組が大きく扱ったのは記憶にあたらしい。

 こうしたスポンサー(TVをプロモーションに利用する企業)、広告代理店、広告媒体企業(TV放送会社)の悪しき三角形に割って入ったのがインターネット・サイトである。インターネットでは個人(プロ・アマ問わず)が自分の考え(あるいはニュース)をまるで放送局のように、しかも直接的に全国(ブロード)、団体・グループ(ナロー)、個人(ポイント)に発信することが可能となったのである。能動的な個人は多数の選択肢の中からあるいは選択肢を組み合わせてその発信されるサイトにアクセスすることで情報を得る機会を得ることができたのである。これは、個人にとってマスメディアという媒介者を通じて情報を分かりやすい説明を流してもらうという唯一の権力とは違った形の媒介者を手に入れたことを意味するのである。

 このようなものを市民メディアと呼ぶとすれば、この市民メディアの発達こそが、既存のメディアに揺さぶりをかけ、健全な報道を復活させる手段となる可能性を秘めているのである。