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服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』

2006-12-23 22:04:59 | 小説以外 

服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』再読。

以下、著者である服部氏がルワンダ経済再建計画立案を大統領に頼まれたときのダイアログ。

p.37

大統領:

「今日お出でを願ったのはほかでもない。最近の通貨の問題がやかましくなり、自分の顧問も、友好国政府からも平価切下げをやるべきだといってくるし、国際通貨基金の調査団も切り下げの勧告をしていった。一方大蔵大臣その他の人は切り下げをすべきでないという。ところが誰に聞いても切り下げがなぜ必要だ、切り下げしなければどうなるのか、切り下げをしたらどのように経済がよくなるかについては納得ゆく説明は得られない。そこで昨日あなた宛に、この問題について報告するよう手紙を出したが、むしろ直接あなたから一応このことについてご説明を聞いたほうがよいと思ってお呼びしたのです。私としては通貨問題についてこのままではゆけない、なんとかしなければならないと思っています。しかし、通貨問題は国家の一大事ですから、私が見通しもないままに、通貨基金がやれといったから切り下げをやるような無責任なことはできないのです。どうか総裁の意見を率直に聞かせていただきたい」

服部:

「私はまだ閣下のお手紙は受け取っておりません。しかし私も実は閣下にお目にかかり、この問題についてご指示を願いたいと思っていました。おっしゃるとおり、最近通貨問題の議論はやかましいですが、当地での論議を聞けば殆どが平価切り下げの何たるかを知らない人が騒いでいるようなきが私もしていましたので、大統領閣下に関係すること大いなるものでして、政治決定があってはじめて技術的に実行できるものなのであって、その意味で私は通貨基金の人たちにも、政治決定があれば実行できるといったものであります。

 ついては、閣下にお伺いしますが、閣下は切り下げをなさりたいのですか。ルワンダは今非常な窮状にあり、外からの資金援助は贈与であろうと貸し付けであろうと、一文でも多く欲しい状態にあります。また現在の二本の為替相場制はルワンダ経済の諸悪の根源ですから、これを廃して通貨価値を一本にすることは、ルワンダ経済に良い効果を与えるでしょう。今切り下げをするというご決定があれば明日中にも実行し、新平価は2年は維持する自信はありますが、それ以上は私としては保証しかねます」

大統領:

「私は必ずしも切り下げに反対しているわけではない。必要と納得できれば切り下げをする。しかし、切り下げた場合、切り下げ後は再び通貨問題が起こらないような切り下げ方をしてもらいたい」

服部:

「私は自分が最上の中央銀行家でないことは良く知っておりますが、日本銀行という強力な中央銀行に20年あまり勤務し、パリ在住で2回フランス・フランの切り下げにあい、これを詳細に調べて見ました。それで私は平価切下げに関しては、その理論ばかりでなく、その実際についても少しは知っておるつもりです。実例について説明いたしましょう。

 1957年8月、フランスは平価切り下げを実行したが、これは通貨面の操作にとどまり、財政経済その他の借置はとられなかった。その効果は国内物価の騰貴で約3ヶ月で相殺され、翌年切り下げの余儀なきに至った。

 1958年12月、フランスは再度切り下げを行った。この切り下げはドゴール政権の財政経済改革の総仕上げとして実施された。物価騰貴は私がパリを去る翌年8月まで殆どなく、その際定められ平価は今日まで維持されている。

 1949年4月、日本は財政均衡政策をとるとともに従来の複数為替相場は一ドル=360円の一本の新相場に統一した。当時一ドル=400円が妥当という議論が強かったにもかかわらずこの相場がとられたのである。同年、9月、イギリスが平価切り下げを行った。当時日本は財政引き締めで非常に不況にあり、またポンド圏が日本の当時の重要な輸出先であったので、その後イギリスとの競争に負ける惧れもあったので、国内で円のついづい切り下げの強い議論があった。しかし政府は断固平価維持の態度を表明し、今日まで当初の平価を変更することなく、日本経済の発展が実現された。

 閣下、この三つの例から得られる教訓はなんでありましょうか。

まず、他の処置を伴わない平価切り下げは若干の時間稼ぎにはなるが、それ以上の恒久的効果はないことが第一の結論でありましょう。

 次に成功した切下げは、もっと広い財政経済全般における改革の一環として行われたものである。特に財政均衡の処置が必ず取られていることが第二の教訓でありましょう。

 第三の教訓は、経済は生き物であって、自律的な法則によって動いてはいるが、法則の基礎になっている条件が変われば、それに順応してゆくものであることです。経済は生き物であるという意味は、経済は人間活動であるということで、人間の行為で意思というものが最も重要なものなのです。平価の妥当な水準を計算することは必要ですが。仮にその計算に若干の誤差があっても、平価を維持する決心があれば、その決心自体が経済に順応反応を呼び起こすものなのです。

 閣下は切り下げをするなら、第二の切り下げのない切り下げをやれとおっしゃいました。そのような切り下げはまず財政の均衡ができなければ不可能です。ところが財政を均衡させるにはどうしたらよいか、じつは私もルワンダに来てまだ6週間で実情を知らず、今はお答えできません。ただ私の知りえたところでは、ルワンダ人には税は重く、外人には軽すぎるということは言えます。新しい財源を見つける問題ばかりでなく、現在の税制をより公正に改正するという問題も当然起こるような気がします。」

大統領:

「ルワンダ人に税が重く外人に軽いと実は私もそんな気がしていた。しかし私の外人顧問は皆もっとルワンダ人から税を取れと言っている。私はあの貧乏なルワンダ人がこれ以上どうして税を払えるのだと答えている。ルワンダ人の税が重すぎるといった外人は、総裁あなたが初めてだ」

服部:

「閣下、失礼ながらそれは閣下の顧問たちがいかに質が悪いかを示すだけのことです。私はここの外人のように知らないことにまで口を出すようなことはしません。私は銀行員として訓練を受け、知ったことでも全部は言わない習性が付いているつもりです。私はまだ、ルワンダの実情をよく知っていませんが、私の計算したところでは、農民の直接税負担はその乏しい金銭所得の実に40%に達しているのです。しかも成人男子の86%がこの重税を納税しているのです。この数字は大蔵省の会計の帳簿からとった数字なのです。」