この本は、以下のAmazonの紹介記事を見て分かるように、昨年の第169回芥川受賞の作品です。著者が障がいをもつ人であることや、その言動が気になって、読みたいと思って図書館に予約を入れていたが、200人とかの予約数で所蔵書が20冊もあるにも関わらず、数ヶ月待ちの状態で、一度は順番が来たにも関わらず、東京へ行く用事と重なって、キャンセルせざるを得ず、再度予約し直したりしてやっと順番が回ってきた。今日確認したら、予約数は16となっており落ち着いたようだ。
第169回芥川賞受賞。
選考会沸騰の大問題作!
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」
井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。
両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす――。
さて、内容だが、下の方の感想と同様、すごい小説という言葉が出てしまう。ハンチバックという言葉はしらなかったけど、「ノートルダムのせむし男」の原題に使われていたのですね。
障害を持つ人の気持ちは健常者には絶対わからないと思うので、私はわかったふりをするのも嫌いだし、わかったふりをして「よりそう」だとか発言する人は嫌いだ。
下の方のブログにもあるように、この小説の主人公は、筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症という病気で、背骨がS字に湾曲している、とのことだ。人工呼吸器を使い、電動車椅子を使い、自分の親がお金持ちらしく、親が所有するグループホームで暮らす。よって、お金にはまったく困っていない。両親が遺した財産で暮らし、グループホームも自らの所有で、現金資産も億単位であるという。という設定だ。
そして、風俗記事を書くバイトをしている。こたつ記事(こたつ記事の意味はこの本を読むまで知らなかった)を書いている。また、著者はネットやSNSは詳しいらしく、こたつ記事、ハプバなど、私の知らない言葉がいっぱい出てくる。
また、裏アカで<妊娠と中絶がしてみたい><私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう><普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です>などと呟いている。
これらの状況というか設定は、私が今までに読んだ本ではなかったものだ。
その他、日常化した人工呼吸器での痰吸引の様子は、健常者が知り得ない障害者が過ごす日常をリアルに淡々と描いていて、彼らの苦労の一部がわかったということではなく、健常者にはわからないことだらけなのだろうという感想を持った。
もうひとつ、著者は主人公に以下のように語らせる。
「目が見えること、本が持てること、ページが捲れること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に書いに行けることーーーという5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズムを憎んでいた。」
そう、本を読むことは健常者の特権?健常者には気が付かないことだ。
紙の本、なんとかしてくれということだと思う、彼女のような障害のある人には電子図書の方が紙の本より扱いやすいあるいは電子図書でなければ読めないってことなんだ。
その他、以下のような記述もある。
ーこちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。
ー完成された姿でそこにずっとある古いものが嫌いだ。壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いなのだ。生きれば生きるど私の身体はいびつに壊れていく。
また、我々はSNSの弊害を事件のたびに話題にするが、障害のある人にとっては、SNSが人並みの体験や日常から離れる貴重なツールだということを知った。SNSについて語るときは、その事実を踏まえることが必要だと思った。
難解だけど、すごい小説でした。
一筋縄ではいかない、すごい小説を読んでしまった。
タイトルのハンチバック。
読み進めるまでその意味が分からなかった。知らなかった。
途中出てくる「せむし」という単語にルビとして添えられていたのが「ハンチバック」という単語。
なるほど、せむし、を意味するんだ。
「ノートルダムのせむし男」という映画の原題を調べてみたら、
The Hunchback of Notre Dameとあった。
最後に、Mr.サンデーのYouTube動画を貼っておきます。本人も登場して、彼女の執筆する様子も見れる。なかなかよくできた内容だと思う。ぜひどうぞ。
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