昨日はフェスティバルホールにウィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏会を聴きに行った。指揮はクリスティアン ティーレマン
前半は
リヒャルト・シュトラウスの交響詩ドンファンとティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらが演奏された。
演奏が始まる前、舞台のそでからホルンがヘンデルのもろびとこぞりてのテーマの音を出していた。今日の演奏曲目の中にこのテーマが出てくるのがあるのかと思ったけれど結果的にはそれはなかった。なのでクリスマスも近いしちょっとホルンの奏者が思いつきで遊んだのだと思う。まあ、いい思い出になったけれど。演奏前の練習でホルンがもろびとこぞりてのメロディを吹いていたぜ、というこどで、、。
ドンファンの冒頭の音がなったときに明るくて独特のつやがあり柔らかい音色と思った。楽器はステージの後ろの方に管楽器が横に広くズラーッと並んでいて壮観だった。ただ、ホールが広いということもあると思うけれどフォルテのところでも耳をつんざくような大音響というわけではなく、オーケストラの音量のマックスに至るにはまだ幾分かのゆとりがあるという感じだった。そういう意味では全体にマイルド感のある音であったと思う。
演奏がある程度のところまで進んだときに音楽の場面に応じた表情のつけかたか自然に変化してかつ場面にとても順応したものであることに思いがいたった。ふだんCDで聴くときにはあまり意識しないけれどこの交響詩が物語のある音楽であることに思いがいたる。
こういう音楽の表情に応じた演奏の表情の変化というのはうまいというよりも楽員の一人ひとりのメンバーが身につけているものをそのまま表現すればおのずとそうなるという感じでそういうところがいかにもウィーンフィルらしいなと思った。うまいというよりナチュラル。それがウィーンフィルかなと思った。指揮者がゆったりとした動作でことさらオーケストラをドライフしようという意図がその指揮の姿からあまり感じられず、オーケストラの自発性を活かすという方向性を持っていたことも良かったのだと思う。
僕はティーレマンさんの経歴をとくに調べたことはないのだけれどその音楽の進め方を見ているとなんだかオペラの指揮に精通しておられるような印象を受ける。
個々のプレーヤーももちろんうまいけれど楽器もちょっと独特の音色だなと思った。
ときどき金管楽器の音がが舞台のそでから聴こえてくるような耳の錯覚におそわれたけれど目をこらすと音はステージの上から出ているようだった。なんかそういうところも独特の魔法のような感じだなと思った。これもきっと楽器の音色に独特のマイルドさがあるからそうなるのだろうと思う。
コンサートの後半はヨハン・シュトラウス二世のジプシー男爵序曲、ヨーゼフシュトラウスの神秘な魅力作品173とワルツの要素を含む二曲が演奏される。メロディーの歌い方が情感たっぷりで、三拍子のリズムの刻みかたにもちょっと真似のできないような独特の揺らぎがある。聴いていてうっとりとした。
続いて演奏されたリヒャルト・シュトラウスのバラの騎士でもワルツは出てくる。やはり他のオーケストラでは聴けないような拍子のとり方と歌い方がすごいなと思った。あと言葉でなかなか表現できないけれど、音が小さいところでもなんか積極的な感情が込められているように感じる。小さい音に積極性が感じられるという思いを抱いたのはちょっと僕にとっては珍しいことだなと思った。
悲しい感情、緊張した感情、楽しい感情、いろんな感情が自然に表出されてくる感じで、音楽って本当に人間のあらゆる感情を込めることができる芸術なんだなということに今さらのように気づかされる思いだった。
意図して感情を込めて演奏しているというよりも、自分達が持っているものを自然に出しているという感じで、なんかそういう演奏ってそんなに頻繁に聴けるものではないなと思った。バラの騎士で音が小さいところがとても情感豊かに演奏される様に接して、音楽の都ウィーンで最高のオーケストラが演奏しているんだもんなという思いが込み上げてきた。本当に夢見心地でいいコンサートだった。
楽器が横に広くズラーッと並んでいて見ていて壮観だった。けれど弦楽器は指揮者の左からファーストバイオリン チェロ ビオラ セカンドバイオリンの古典配置(対向配置)だった。コントラバスも左奥だった。最近は楽器の並び方も色々だなと思った。
近年はウィーンフィルの演奏でも指揮者によってはピリオド奏法の影響が感じられる演奏が入っているようなCDもあるように思う。しかし。ティーレマンさんの場合、そういうのとは距離をおいているようで、むしろ20世紀中頃の感覚を思い出させてくれるような演奏でなんかそういうところもなんとも言えない懐かしさの込み上げてくるような一日だった。
具体的にはなんかカールベームさんが頻繁に指揮していた頃のウィーフィルを思い出すような感じでなんだかそういう意味でのノスタルジーにひたることもできた。いい思い出になった。
前半は
リヒャルト・シュトラウスの交響詩ドンファンとティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらが演奏された。
演奏が始まる前、舞台のそでからホルンがヘンデルのもろびとこぞりてのテーマの音を出していた。今日の演奏曲目の中にこのテーマが出てくるのがあるのかと思ったけれど結果的にはそれはなかった。なのでクリスマスも近いしちょっとホルンの奏者が思いつきで遊んだのだと思う。まあ、いい思い出になったけれど。演奏前の練習でホルンがもろびとこぞりてのメロディを吹いていたぜ、というこどで、、。
ドンファンの冒頭の音がなったときに明るくて独特のつやがあり柔らかい音色と思った。楽器はステージの後ろの方に管楽器が横に広くズラーッと並んでいて壮観だった。ただ、ホールが広いということもあると思うけれどフォルテのところでも耳をつんざくような大音響というわけではなく、オーケストラの音量のマックスに至るにはまだ幾分かのゆとりがあるという感じだった。そういう意味では全体にマイルド感のある音であったと思う。
演奏がある程度のところまで進んだときに音楽の場面に応じた表情のつけかたか自然に変化してかつ場面にとても順応したものであることに思いがいたった。ふだんCDで聴くときにはあまり意識しないけれどこの交響詩が物語のある音楽であることに思いがいたる。
こういう音楽の表情に応じた演奏の表情の変化というのはうまいというよりも楽員の一人ひとりのメンバーが身につけているものをそのまま表現すればおのずとそうなるという感じでそういうところがいかにもウィーンフィルらしいなと思った。うまいというよりナチュラル。それがウィーンフィルかなと思った。指揮者がゆったりとした動作でことさらオーケストラをドライフしようという意図がその指揮の姿からあまり感じられず、オーケストラの自発性を活かすという方向性を持っていたことも良かったのだと思う。
僕はティーレマンさんの経歴をとくに調べたことはないのだけれどその音楽の進め方を見ているとなんだかオペラの指揮に精通しておられるような印象を受ける。
個々のプレーヤーももちろんうまいけれど楽器もちょっと独特の音色だなと思った。
ときどき金管楽器の音がが舞台のそでから聴こえてくるような耳の錯覚におそわれたけれど目をこらすと音はステージの上から出ているようだった。なんかそういうところも独特の魔法のような感じだなと思った。これもきっと楽器の音色に独特のマイルドさがあるからそうなるのだろうと思う。
コンサートの後半はヨハン・シュトラウス二世のジプシー男爵序曲、ヨーゼフシュトラウスの神秘な魅力作品173とワルツの要素を含む二曲が演奏される。メロディーの歌い方が情感たっぷりで、三拍子のリズムの刻みかたにもちょっと真似のできないような独特の揺らぎがある。聴いていてうっとりとした。
続いて演奏されたリヒャルト・シュトラウスのバラの騎士でもワルツは出てくる。やはり他のオーケストラでは聴けないような拍子のとり方と歌い方がすごいなと思った。あと言葉でなかなか表現できないけれど、音が小さいところでもなんか積極的な感情が込められているように感じる。小さい音に積極性が感じられるという思いを抱いたのはちょっと僕にとっては珍しいことだなと思った。
悲しい感情、緊張した感情、楽しい感情、いろんな感情が自然に表出されてくる感じで、音楽って本当に人間のあらゆる感情を込めることができる芸術なんだなということに今さらのように気づかされる思いだった。
意図して感情を込めて演奏しているというよりも、自分達が持っているものを自然に出しているという感じで、なんかそういう演奏ってそんなに頻繁に聴けるものではないなと思った。バラの騎士で音が小さいところがとても情感豊かに演奏される様に接して、音楽の都ウィーンで最高のオーケストラが演奏しているんだもんなという思いが込み上げてきた。本当に夢見心地でいいコンサートだった。
楽器が横に広くズラーッと並んでいて見ていて壮観だった。けれど弦楽器は指揮者の左からファーストバイオリン チェロ ビオラ セカンドバイオリンの古典配置(対向配置)だった。コントラバスも左奥だった。最近は楽器の並び方も色々だなと思った。
近年はウィーンフィルの演奏でも指揮者によってはピリオド奏法の影響が感じられる演奏が入っているようなCDもあるように思う。しかし。ティーレマンさんの場合、そういうのとは距離をおいているようで、むしろ20世紀中頃の感覚を思い出させてくれるような演奏でなんかそういうところもなんとも言えない懐かしさの込み上げてくるような一日だった。
具体的にはなんかカールベームさんが頻繁に指揮していた頃のウィーフィルを思い出すような感じでなんだかそういう意味でのノスタルジーにひたることもできた。いい思い出になった。