ケンのブログ

日々の雑感や日記

時と場合に応じた言葉

2020年04月08日 | 読書
芹沢光治良さんの小説 「人間の運命」に出てくる森次郎という中学生は石田という中学校の友人に父について尋ねられたときこのように答えている。

”「君のお父さん、なにしてるの?なんて名前?」
「父?ないようなものだが─」
次郎のためらいがちな返答に、これだから嫌いだと、石田は思い、
「じゃ、スケッチは頼んだよ」と言うなり、花壇の方へ駆け去った。”


ところがその石田の家に行って石田のおじいさんに同じことを聞かれたとき森次郎はこのように答えている。

”「森くんは我入道だってね、お父さんがいないって?」
「はい、我入道です。父はあります。小さい時、僕を残してを出ていっただけです」”


同じことを問われてもいつ、どのような場合に、誰に尋ねられたかに応じてとっさにかつ適切に言葉を話していく。できそうで、できることではないなとしみじみと思う。すごいことだなと。

きっとコロナのせい

2020年04月08日 | 日記
今日、隣のそのまた隣の街の駅の近くを歩いていたら、女性の市会議員候補者のビラを配っていた。僕がそれを受け取ると女性の候補者が僕の方に歩み寄ってこられた。

僕が握手しようとすると女性候補者は手袋をしておられて「握手はだめなんです」とおっしゃった。

僕のことを危険人物を思ったのだろうか、いやそうではないコロナのせいだと思いたい。しかし握手をしなかったからかもしれないけれどその候補者の名前を忘れてしまった。

辻元清美さんといつか駅の階段の下で握手したことは覚えている。清美さんが階段を降りてきた僕におそるおそる手を伸ばしてこられたので僕も手を出したら握手となった。

なかなか柔らかい手の感触だった。清美さんしゃべらなきゃ可愛いのにと思うことがよくある。コロナでも、いい政策をソーリに提案してほしいものだと思う。