芹沢光治良さんの小説 「人間の運命」に出てくる森次郎という中学生は石田という中学校の友人に父について尋ねられたときこのように答えている。
”「君のお父さん、なにしてるの?なんて名前?」
「父?ないようなものだが─」
次郎のためらいがちな返答に、これだから嫌いだと、石田は思い、
「じゃ、スケッチは頼んだよ」と言うなり、花壇の方へ駆け去った。”
ところがその石田の家に行って石田のおじいさんに同じことを聞かれたとき森次郎はこのように答えている。
”「森くんは我入道だってね、お父さんがいないって?」
「はい、我入道です。父はあります。小さい時、僕を残してを出ていっただけです」”
同じことを問われてもいつ、どのような場合に、誰に尋ねられたかに応じてとっさにかつ適切に言葉を話していく。できそうで、できることではないなとしみじみと思う。すごいことだなと。