日中に電車に乗ると、みんな間隔をあけて座ることが多い。というか間隔をあけて座っていると言い切れるほどだ。
今日、夕方のラッシュ時に私鉄に乗った。やはりコロナなので、席の間隔はあけなくてはと思い、人が一人座れる分くらいの間隔を両隣の人とのあいだに作る形で着席した。
しかし、混雑した車内で立っている人の体の動きを見ていると、そんなに間隔をあけないで、もっと詰めてくれよ、ときっと思っておられるだろうということがなんとなくわかる。
それは、座席の間隔があいているところに立って、体を前傾させたりして、ソワソワしれおられたりするので、なんとなくその気配で、もっと詰めてほしいと思っておられるのだろうと感じたりする。
それで、周りを見回してみると、列車の進行方向と平行に座席がとってあるその車内では、ほとんどの場所でみんな、コロナでないときと同様に座席を詰めて座っているケースがとても多い。
ああ、やはり、会社に通って、ラッシュ時に電車に乗り込んでくる人は、もう、こんなときにソーシャルディスタンスなんて気にしてたら、やってられないと内心思っている人も少なからずいるのかもと思ってしまった。
ソーシャルディスタンスを自分は保っているつもりなのに電車の車内でそのことに無言の圧力を感じたのは少なくとも僕は初めてだった。
コロナに対するみんなの感じ方、捉え方に、以前と比べると個々人による温度差が出てきているんだなと思う。
マスクも、僕は、通気性が悪くても飛沫防止効果の高いものと、飛沫防止効果は落ちるけれど通気性の良いものを持っている。
呼吸の関係で、通気性の良いマスクをしたときは、なんとなく後ろめたさを感じることもある。
しかし、通気性の良いマスクも、ロフトで、自分なりに考えて選んだものなので、言葉は悪いけれど、コンドルのくちばしのような感じの、ウレタンのマスクよりは飛沫防止効果はましかもと密かに自分では思っている。
若い子でおしゃれな感じの子はけっこう、ウレタンのマスクをかっこよくつけていたりする。
暑くなってきて、鼻出しマスクのひとも増えたし、、、、。
と言っているときりがなくなってしまう。
ブッダの言葉に
「他人がしたこととしなかったことを見るな、ただ、自分がしたこととしなかったことだけを見よ」というものがある。
本当に、こういう言葉を自分なりに噛み締めて、自分ができる範囲のことをやって、あとはなるようになると考えてくのを基本にしたいと思っている。
とは言うものの、ちょっと、もう、ちょっとこれ以上我慢と言われたら、どこかで抜け道でも探さないと、、、と心のどこかで思っている自分もいたりする。
ブログに書いていいことがどうかわからないけれど、、、、。
それは、ともかく、一日いちにち無事にすごせますように。それを第一に願っていきたい。