ケンのブログ

日々の雑感や日記

知らぬ間に世の中動いている

2021年05月23日 | 日記
僕の自宅マンションの近くにたぶん昭和40年代に建ったマンションがある。

そのマンションの横の通り道には桜の木もあって通り抜けるのが楽しみだった。

若いママが、井戸端会議をしていることも、ままあった。

一ヶ月くらい前からそのマンションの側道が通行止めになった。

理由はわからないけど、なんしか通行止めだからとそこを通らないでいた。

一週間くらい前に、その通行止めの仕切りの脇に少し隙間ができていた。

通れるものなら、マンションの側道を通ったほうが少し駅に近道になる。

それで、その隙間をかいくぐってマンションの側道に入った。

すると、そのマンションの階段がベニヤ板で塞いである。

あれ、と思ってみると、マンションにはもう誰も住んでいなかった。

本当に、この春先までは若いママが井戸端会議をして、子供も三輪車に乗っていたりしたのに。

いつの間にみんなマンションを引き払ったんだろう。

すぐ近所のマンションなのに気づかなかった。

もし、女性と一緒に暮らしたりしていたら、女性の情報ネットはすごいから、僕もなにかわかったかもしれないけれど、こういうとき独り身の情報のなさを感じるなと思う。

しかし、マンション一棟まるごと人がいなくなるのに気づかないなんて都会生活の盲点だなとも思う。

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僕の近所の水田の田植えにはかなり時間差があって、もう田植えが終わっている水田もあれば、まだ、準備中のところもある。

そんなこともあって、歩いていると結構、水田に目が行く。

何日か前にJRの駅の山側の水田はどうだろうと思って見ると水田はもうなくて、盛り土がしてあって、ブルドーザーがその脇に止まっている。

ああ、この何年か、市民の草の根団体の人が、駅の山側の開発反対と言っていたのはこのことかと今さらのように気づく。

しかし、どうなんだろう、僕の住んでいる町をこれだけ開発して、しかるべきマンションの入居率になるのだろうか。

エビデンスは何もないけれど、直感的に、難しいような気もする。

まあ、こればかりは、やってみなければわからないけれど。

しかし、田んぼのあぜ道を通って、高速道路のすぐ近くにある高校に通う高校生を眺めるのが好きだったので、残念と思う気持ちはある。

最近、僕の住む街に私立高校が一つ移転してきて、公立高校とはちょっと違う方向からやってくる高校生はよく見かけるようになったけれど。

しかし、宅地開発がなされていても、どうも今ひとつと感じてしまうのは、僕の今の時代に対する気持ちが影響しているのだろうか。

そんな気もする。

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五輪選手のコロナワクチンの接種に関してある競技団体幹部のこんな談話が新聞に出ている。

「(ワクチンの)将来のリスクなど細かい説明はなく、『すぐに回答を』という感じだった」と。

本当に、これも今のすぐに回答を迫る世相を反映した言葉だなと思う。

すぐに回答を迫られるといえば僕にとってはアプリもその一つ。

僕が、アプリに関して、どうもあまり積極的になれないのは、アプリを入れようとすると、次の〇〇に同意しますかということをアプリが聴いてくることが多いということもある。

もう老眼やし、画面でそんな同意すべき規約の文章読む気力ないし、でも同意する とすぐにタップしないと、アプリの画面が先に行かないし、それでアプリに登録して、何かあった時に「あなた、このリスクがあることについては同意してますよ。ちゃんとアプリで同意したことになっています」と言われたらどう抗弁したらいいのかわからないというのも一つある。

まあ、駐車場に「無断駐車は罰金2万円」と張り紙をしたら、それだけで2万円の請求の正当性を法的に認められるほど、世の中、単純ではないので、アプリの同意もいざとなったら開き直って裁判に訴えてくださいと言ってもいいのかもしれないけれど、、、。

そんなこと言う勇気があるかどうか、、、。

もちろん、スマホを持ってないので、タブレットにアプリを入れて、お店で、しゃがんでリュックをあけて、タブレットを取り出して、うーん えーと とやっていると、受付に並んでいる人の列の邪魔だし、自分自身もそれでストレスということもあるけれど、、、。

何かとややこしい世の中だけれど、一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。










毎日無事に

2021年05月23日 | 日記
今日の新聞の編集手帳にこんなことが書いてある。

“”
東海道新幹線の運転士が急な腹痛を起こし、トイレに駆け込んでいたことがわかった。
3分22秒の間、運転室には車掌がいたものの操縦資格はない。時速約150キロで7キロあまりの距離を走行したという。

運転士は熱海を通過したあたりから「究極の選択」を迫られた。次の停車駅の名古屋まで我慢するか。規定に従い新幹線を停止させて運転室を離れるか。JR東海は運転士と車掌を処分すると発表した。

が、こちらにもうなずけない部分がある。運行会社として、その他の選択を検討したことはないのだろうか。人の突発的な体調異変はもっと深刻な病気が原因の場合もある。

新幹線が原則一人の運転士で運行されていることを今回の件で初めて知った。

僕らの「超特急」にいささか、冷や汗を覚える。“”

僕、このニュースを昨日か一昨日知ったとき、まあ、新幹線も停車するときはともかく、駅間を走行しているときは航空機と一緒で、実質自動操縦になっているのだろうと思った。

それで、もうお腹が痛くなって、トイレ我慢できなくなって、車掌に頼む と言ってしまった。

車掌さんも駅間は実質自動操縦ということをしっていたから、まあ、引き受けてしまったのだろうと思った。

そして、僕は、このニュースを知ったとき、実は、それなら運転席に、おまる というか簡易便器をいざというときのために置いておけばいいのにと思った。

運転士ひとりなら、別に 簡易便器を使いながらでも乗客に見られることはないし、今はいろいろ瞬間的に固めてしまうような化学薬剤の入った簡易便器もあるだろうから、それで大丈夫なのではないかと。

しかし、運転士ひとりでは、腹痛以外のもっと重篤な体調不良の場合に心もとないという新聞の指摘を読むと、僕の認識が甘かったと思ってしまう。

とはいっても、JRもコロナで赤字の垂れ流しだろうし。

運転士二人雇う余裕はないかもしれないし、でも、一人では危ないし、と思うと堂々巡りになってしまう。

今の、世の中、本当になにかと堂々巡りだなと思う。

駅のコンコースなどに警察官や、ガードマンが露骨に立っている姿をみることも多くなった。

ああいうの見ると、抑止力になるのか、逆に、人の感情が刺激されて余計に、治安が悪くなるのか、これも、一概にはわからないなと思ってしまう。

もちろん、抑止力になることをひたすら祈っているけれど。

アプリなど、デジタル化を進めすぎたお店で、スマホが、うまくつながらなかったりフリーズしたりして、店員さんと若い子が険悪な雰囲気になっているのを見かけることも多くなった。

デジタルは、便利な面があることは否定しないけれど、ちょっと障害を起こしたときは、手に負えないような問題になってしまうことも多い。

そういう不安を抱えながら、お店や会社を守るというのもまた、大変なことであるように思う。

チャップリンが、映画、モダンタイムスに描いたように、人間が機械を支配しているのか、機械が人間を支配しそれに人が怯えているのか、わからなくなることがときどきある。

旧約聖書の知恵の書に
「賢者は身の危険を感じると身を隠すが、愚かなものは向かっていって罰を受ける」という主旨の記述がある。

本当に、ものごとに向かっていく勇気も大切と思うけれど、危険と思ったら黙って身を引く勇気も同様に、あるいは、それ以上に大切だと感じる。

そういう判断にしかるべき直感と慎みが働きますようにと心の中で願っている。

そういうのもふくめて、なるようになると心に言い聞かせて生きていきたいと思う。

一日、いちにち無事に過ごせますように、それを一番に願っていきたい。