今日、ある駅前広場を通ったら、「ワクチンは拒否」というデモのようなことをやっていた。
代表的な人物が、拡声器でワクチン拒否を訴え、取り巻きの人がビラを配ったりするというよくあるパターン。
僕は、ワクチンは、自分自身は、様子を見る派、なので、別に拒否なら拒否でかまわないのだけれど、取り巻きの子が、「ワクチンは原爆かもしれませんよ」とうつむいて前を通ろうとする僕の方に向かって叫んでたりして、もうちょっと勘弁してという感じになってしまう。
一生懸命デモをやっている人には申し訳ないし、デモの人がまったく間違ったことを言っていると思っているわけでもないのだけれど、、、。
せいさん、という方が、いくら正しいとおもうことを叫んでいても、そこに怒りの気が、多分に含まれていたら、そういう気が、すでにマイナスのパワーや気を放ってしまうということがあるのです。 という主旨のことを本に書いておられたとおもう。
実際に、怒気を含んだ言葉の入り乱れる中を通り過ぎるというのは、なんとも言えない緊張感があるなと思ってしまう。
ワクチン拒否と拡声器で叫ばずとも、もともと、希望者にワクチンという情報が発進されていたはずだとおもうし、しかるべき病院のホームページには、自分にとって納得のいかない医療を拒む権利が患者にはあるというのはコロナになるはるか以前からちゃんと書かれている。
日々、あらたな情報が出てきて、ワクチンの予約が困難とか、いついつまでに何%の人に接種とか、そんな情報が飛び交ううちに、みんな、ワクチンを受けるかどうかは、自己の意思によるもので強制ではないということを忘れてしまっているということもありがちだとおもう。
なので、知らぬ間に、ワクチンを接種しない人が差別的な待遇を受けたりとかそれもまた怖いことであるのは事実とおもう。
ワクチンは、可か否かというオール オア ナッシングの考えにみんながなってしまうことがいちばん怖いこととおもう。
そういう意味では、ワクチンに反対するデモが、あるのも決して否定すべきことではないとおもうけれど、、、。
世の中が混乱するときには、人の考えが単純化され極端になるという指摘をしていた人がいたと思うけれど、そうならないように自分自身できるだけ気をつけていきたいと思う。
しかし、混乱を避けるために、コロナの接種で電話の予約は受け付けず、ホームページかラインに限る、という文言が新聞に出ているのを見ると、高齢者を相手に、そんなネットのみの予約システムで、大丈夫かと思ってしまうことは事実。
かといって、電話も、ネットもありにすると、いろいろとパンク状態になってしまうのだろうし、。
話はちょっと横道にそれるけれど、最近、IT化を率先して進めている会社のコールセンターの電話対応が案外しょぼいということも個人的には何度か体験している。
やっぱり、ぼくも年齢的に還暦というのが近づいてきたし、いざというとき、電話など、言葉のやり取りで、頼りない人が出てくるというのは不安といえば不安だ。
本当に言葉は悪いけれど、ちょっとアナーキーな状況になっているなと思う。
58年と9ヶ月くらい生きてきて、これだけ世の中がアナーキーだと感じたのは、かつてないと思う。
こういうときだからこそ、マスク手洗い など、自分にできることをやって、あとはなるようになるという気持ちの持ち方も大切と思う。
一日いちにち、無事でありますように、それを第一に願っていきたいと思う。