ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナの連休

2021年05月02日 | 日記
僕の自宅最寄りのJRの駅の階段下に燕が巣を作って一週間くらい前からダンボールの箱が燕の糞を受けるためにおいてある。

そこに、なぜか3日くらい前から、ビンとか缶とか、タブロイドの新聞とか、そういうものがほかしてある。

こういうの見ることって珍しい。

駅員の方が消毒とかそういうコロナに伴う業務で、段ボール箱を見ている暇がないのか、コロナで気持ちがやけくそになった人がほかすのか。

いずれにしても、見ていて気持ちのいいものではないように思う。

特に注意を促す張り紙もしてないけれど、ひょっとしたら、張り紙をしたら、余計に反発を買って被害が大きくなるという判断かも知れない。

本当に、こういうのはどう対処するか判断が難しいところだなと思う。

僕も、情けない話だけれど、見てみないふりをしている。

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新聞に、シャッターをおろした店が多くて閑散とした、京都 清水寺に向かう坂道の参道の写真が出ている。

ゴールデンウイークにこんなに清水寺の参道が閑散としていたら、コロナも心配だけれど、経済も心配になってくる。

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新聞に中国ではこの5月のメーデーの連休に二億人あまりが移動して観光地は2年ぶりにごった返していると出ている、

日本とは対照的。

当局の締付けが効を奏してコロナの死者は中国ではこの一年間で数人にすぎないと書いてある。

ちょっとにわかには信じがたい数字とも思う。

どこの国の統計もどこまで信憑性があるかわわからないけれど、、、。

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大阪の北のターミナル近くで自費で受けるPCR検査に列ができている写真が新聞に出ている。

列に並ぶ人に取材した声を見ると。

“”家族の顔を見られるのは連休しかない。

陰性なら家族とすごしてもいいのかと思った。

クラスターが出れば親戚全体が批判されかねない。“”

という発言が並んでいる。

当たり前の話だけれど、検査で陰性と出ても、検査からの帰り道で、感染したら、もう検査で陰性だから感染していないという主張は意味をなさない。

ただ、検査をして陰性とでれば、感染した状態で家族や他人と会う確率、あるいは可能性は低くなる。

そのことは言えるはずだ。

虫歯の検査を2年もしていない人よりも、一週間前に虫歯の検査をした人のほうが虫歯がある確率や可能性は低いわけだし、、、。

どこまでも、可能性のレベルの話であるにすぎないわけだけれど。

ただ、コロナになったら差別されるのではないかと恐れる人はかなりのパーセンテージに登ると何日か前の新聞に書いてあった。

検査を受けたくなる気持ちは、僕なりに想像はできるつもりだ。

僕自身もコロナになったら、あるいはワクチンを接種しなかったら、回りからどういう扱いを受けるか、そのことはつい考えてしまう。

ワクチンの接種に関しては、本当に、このままでは回りから白い目で見られてまずい、ということになるまでは様子を見たいと思っている。

2回目の接種で発熱など、副作用が出る人が少なくとも10%以上だったと記憶している。

僕にとってはそのような数字をみると、専門家に問題ないと言われてもやはり心配、、、。

発熱って体によからぬことがおきたときに、出るものだと思っているので、、、。

いずれにしても、祈ることで安心を求める人もあるし、悩みを人に話すことで安心する人もあるし、検査の陰性という結果に安心を求める人もいる。

もう、このような状況になったら、他人のすることを否定することは最大限慎むべきだと考える。

僕自身は、お医者さんで、血液検査を受たら、数値は自分でも丁寧に見るようにして、(医師にお願いすると大概はコピーを渡してくださる)血中脂肪や、そういうものを見て、高い数値だったら、食べ物を見直すという形で、検査を活用したことは過去に何度かある。

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新聞に、夫が子供を残して、亡くなった公務員の女性の人生相談が出ている。

女性の悩みは、夫が亡くなったら、義父母が数百万円もってきた。

子供は義父母を慕っているので、むげにあつかうわけにもいかず。

でもお金には困っていないことを義父母に話して、やんわりとお金の受け取りは断った。

それでも義父母はことあるごとに接触を試みてくる。
という主旨の悩みだ。

新聞には孫と義父母と月に一回くらい会う機会を設けたら、とか模範解答的な、アドバイスが出ている。

本当に、こういう、見返りを期待されているという懸念の強いお金の提供を持ちかけられるって、つらいだろうなと思う。

債務の連帯保証人になることは、旧約聖書の知恵の書にも、やめておけと書いてある。

要するに、旧約聖書が書かれた時代から、それで悩んできた人がいると言うことなのだろう。

こういう、見返りを求められている懸念の強いお金はどうなのだろう。

聖書に、そういうことについて書いた箇所があるのかどうか僕は知らない。

ただ、僕はこういうときはフランス革命のスローガン

自由(リベルテ)
平等(イクオリテ)
博愛(フラテルニテ)

を思い浮かべる。スローガンなのでテで韻を踏んでいるのかの知れない、、、。

しかし、自由、平等、博愛は、普遍の価値なのだと信じたいというか、そこに理想を求めるべきだと思いたい自分がいる。

自由を束縛するお金を提供してしてくる人、お金の提供でマウンティングしてくるタイプの人とは、できるだけ距離を置く、場合によっては抵抗することも辞さないという姿勢で臨むような気がする。

あくまで、それを原則として、考えるという話だけれど。

あれこれ書いてしまったけれど、毎日、無事でありますように、それを第一に願っていきたいと思う。












八十八夜

2021年05月02日 | 日記
5月1日は今年の八十八夜に当たると新聞の編集手帳に書いてある。

そうか、そんな季節だなあと思う。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶つみじゃないか
あかねだすきにすげのかさ

小学校の頃よく女の子とこの歌を歌いながら手遊びをしたなと思う。

今、茶つみの歌で手遊びをする子っているのだろうか。

ちょっとしているのを見かけたことないのだけれど。

近所の田んぼは、もういつ水をはってもいいような状態になっている。

日が暮れてから、駅から離れた、町の郊外を歩いていたら、もう水をはっている田んぼもあって
さっそくカエルの鳴き声が聞こえていた。

月夜の田んぼにコロロ コロロ コロロ コロコロなる笛は
あれはね あれはね あれはカエルの銀の笛
ささ、銀の笛

海沼実さんの童謡 銀の笛も子供の頃好きだったなと思う。

今日のカエルはコロロではなく、ゲロゲロっと鳴いていたように僕には聞こえたけれど、、、。

でも、水田に水がはられるのと同時にカエルが鳴き始めるって
やはり、自然の生命力ってすごいなと思う。

僕の故郷で僕が中学生の頃、住んでいた家は、田んぼのそばにあった。

カエルはいつも鳴いていたけれど、カエルの声が苦になったことは一度もない。

「およげたい焼きくん」の歌を大きい音で鳴らしながらたい焼きを売りに来る
自動車はうるさいなあと思っていたけれど。

なぜかカエルの声やセミの声を騒音と思ったことは一度もない。

ある夜、元気に鳴いていたカエルの声が急に止まったことがある。

あれ、変だなあ、カエルが急に鳴きやんだと思ったら
その直後に地震が来た。

あのとき、カエルのほうが地震に気づくのが人間より早いということを初めて知った。

しかし、きっとカエルも地震は怖いんだろうなと思った。

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新聞に吉永小百合さんの上半身の写真が出ている。

姿勢がいいなと思う。

何らかのトレーニングで鍛えておられる可能性が高いと直感的に思う。

その時、その時の状況で、美しくあろうと心がけることのできる気力があるっていいなと思う。

どうぞ、毎日、無事に過ごせますように、それを一番に願っていきたい。