10月12日京都コンサートホールに京都市交響楽団第694回定期演奏会を聴きに行く。
指揮はデイヴィッド レイランドさん
ピアノ アンドリュー フォン オーエンさんで最初に演奏されたのが
モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 K.488
演奏の前に管楽奏者の方々が練習かホールでの音の響き方を確認しているのかわからないけれど、ステージに出てきていろいろ音を出してくださった。
協奏曲23番は僕にとって録音を聴く頻度も高い曲なので、ああ、あのメロディはあの楽器なのかとかいろいろわかってよかった。
演奏を聴くためのいい予習になったと思う。
それで演奏はどうだったのかと言うと、完璧な演奏と思った。
人間って、物足りないところがあると、あそこはこう直した方がいいとか思うから、具体的にどのように物足りないかを言うことはそんなに困難なことではない。
しかし、完璧なものは要するに満足して聴いているわけだから この方がいいとか思わない。
なので 完璧ってどんな風に完璧だったのかと言われても 何しか 完璧だったということになってしまう。
ああ、よかった。
聴くのに力が入って ちょっと バテたけれど。
特に第三楽章は鳥肌モノだった。
指揮者とピアニストの意気もよくあっていた。
ピアノとオーケストラの意気もよくあっていた。
アレグロの楽章は快活だけれどふくよかさもあってよかった。
とにかくよかった。
しいて感想と言えば、快活なのだけれど、その快活さの中にどこか柔らかさがある点がいいなと思った。
それで 演奏とは直接関係ないことだけれど 例えば交響曲の様式を確立した人って古典音楽の時代ではハイドンとよく言われるし、まあ、そうだろうと思う。
モーツァルトは天才だけれどどんなジャンルの音楽の様式を確立したのか、そんなに言われないと思う。
でもモーツァルトの音楽の中でピアノ協奏曲は、様式美の極致だなと思う。
ピアノ協奏曲と言う分野の様式を完璧に確立したのはモーツァルトだと思う。
研究したわけではないから 直感で書いているけれど。
余計なことを書いてしまいました。
でもモーツァルトの音楽で完璧な演奏を聴くことができてよかったと思う。
彼の音楽は微妙に変化する要素が多い分、完璧だと思う演奏に遭遇することは、のっけから、あきらめてしまっていることが多い僕だったから。
コンサート後半は
ムソルグスキー作曲ラヴェル編
展覧会の絵が演奏された。
モーツァルトの演奏が良くてグーっと力が入って後半のムソルグスキー ラベル編曲の展覧会の絵の演奏時には もう僕はバテテしまっていて、ボーっとした感じで演奏を聴いていた。
でも ボーっとして聴いていてもやはり 演奏はここが物足りないとか全く思わない。
いい感じと思うことばかり。
それで演奏の途中から オーケストラのプレイヤーよりも指揮者デイヴィッド レイランドさんのの方に目が行くようになった。
指揮者を見ていると 音楽の曲想に応じて 細やかに的確に指示の出し方を変化させ、驚くほどの集中力をもってオーケストラにとても誠実に気を送っておられるように見える。
これは 指揮の仕方とやわらかそうな人柄の両方でオーケストラのメンバーを魅了するタイプの方だなと思った。
それも演奏がよく聴こえることに大きく寄与しているなと思った。
いやあ本当によかった。
それはともかく いちにち いちにち無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。