10月11日愛知県芸術劇場に名古屋フィル第527回定期演奏会を聴きに行った。
指揮は川瀬賢太郎さん。
最初にベートーヴェン シュルホフ編
「失われた小銭への怒り」作品129が演奏された。
ニューイヤーコンサートの雰囲気と思った。
そういうウィーン的な要素のつよい音楽であるように僕には思えた。
もうちょっと具体的に言うと演奏が始まった時、ニューイヤーコンサートでよく演奏されるトリッチ トラッチポルカをなんとなく連想した。
時折、弦楽器のアンサンブルがもう少しクリアなものであればと思った瞬間も少しあった。
次にグルダ
チェロ協奏曲が演奏された。
チェロ独奏佐藤晴真さん
チェロのそばにスピーカーがおいてあったので 音の出どころは楽器かチェロかスピーカかととても気になってしまった。
たぶん両方なのだと思うけれど。
どうも最近音の出どころが気になってしまう癖がついてしまったかもしれないと思った。
メヌエットの楽章一つとっても古典音楽のメヌエットを思わせる場面もあれば、ビゼーやラヴェルのようにスペインとフランス両方の要素を感じさせる場面もあって、多彩な音楽だと思った。
最後の行進曲風の楽章は心の中でプログラムの楽曲解説には軍楽隊のマーチではなくお祭りを盛り上げる街頭パレードのような音楽と書いてあった。
ただ、僕自身はこれを聴いて心の根底でどこかスーザーのマーチを連想しながら聴いている時間が結構あった。
多彩な音楽だから何を連想させるかは人にもよるし、音楽のどの場面であるかにもよるのだと思う。
休憩をはさんでベートーヴェンの交響曲第5番が演奏された。
僕はこの曲の録音はハイティンクさんのものを聴くことが多い。
その演奏に比べてフレージングが驚くほど短い、音が急に小さくなる。そういう場面では 古楽器奏法の要素があるかと思った。
ただ、演奏全体が古楽器奏法的だったというより随所に古楽器奏法的な感じが出ていたという印象を受けた。
オーボエが管楽器のかなめと言うことをベートーヴェンはきっとかなり強く意識してたんだろうなと思った。
どの楽器も活躍するけれど 楽器がソロとして
個別に目立つということはあまりなく すべての楽器が活躍しながら全体の調和の中で機能しているという印象を持った。
そういうことを意識できたのは生演奏ならではの体験だったと思う。
第四楽章のコーダのところではピッコロが転がっていく。
交響曲第9番のコーダでピッコロが活躍するのは録音を聴くだけでわかっていたけれど、恥ずかしながら5番のコーダでもピッコロが活躍するのはこの演奏会で初めて知った。
家に帰ってきてからYouTubeに出ている交響曲第5番の動画を確認すると第四楽章最後の盛り上がりのところで管楽器のファンファーレに重ねるようにピッコロがドレミファソの音階を何度も繰り返す。
こういう音楽のかなめの部分で基本的な音階を執拗に使うのがいかにもベートーヴェンらしいし、またそれが実際に金管のファンファーレを盛り上げるのに驚くほどの効果をもっているのだから改めてすごいなと思ってしまう。
やはり録音で何回も聴いた曲でも生演奏を聴くことで初めて気づくことは多いなと感じる。
定期演奏会でベートーヴェンの5番を聴く機会って意外と少ないのでよかった。
それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。