母と県庁所在地の百貨店に行って、マネキンに着せてあるワンピースを見て、そのシルエットがチャップリンの映画「モダンタイムス」の中で ヒロインの浮浪少女に扮したポレットゴダードが着ていたワンピースにそっくりだなと思った。
チャップリンの浮浪紳士の服装が 一つのファッションモデルであるのと同様に ヒロインの浮浪少女の着ている服もそれなりにロールモデルたり得るのかなと思った。
チャップリンの映画のスタイルとしてウィキペディアを参照すると次のような指摘が書いてある。
「チャップリンのサイレント映画は通常、小さな放浪者が貧困の中で生活し、しばしば悲惨な目にあうが、必死に努力して紳士として見られるように振舞う姿が描かれている。小さな放浪者はどんな困難に見舞われても、いつも親切で明るいままである」と。
これをもじるわけではないけれど 浮浪少女もチャップリンの映画の中では みすぼらしい服装をしていても レディとして見られるようにふるまおうとしたのだろうと思う。
もっとも、この浮浪少女は 映画の中では港で船からバナナを盗んでいたけれど。
その事実とレディとして見られるようにふるまうということはまた 別物であるようにも思う。
バナナをとるのは 貧困のため ともいえるから、、、。
折にふれ 素晴らしい創作をした人のことが心に浮かぶなあと感じる。
↓ポーレット ゴダードのワンピース
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ここ何日か 新聞に新しい資本主義ということばが出てくる。
人への投資 科学技術、技術革新への投資 新興企業への投資 脱炭素・デジタル化への投資
などがその特色として挙げられている。
通常、ものの名前は たとえば 黒くて カーとなく鳥は「カラス」などすでに存在しているものに与えられることが多い。
「新しい資本主義」の場合は「カラス」のようにすでに存在しているわけではなく まだ存在していないものに先に名前を与えて、これからその存在を形成していこうという順序になっていると思う。
要するに 「新しい資本主義」というのはすでに存在しているものに与えられた名前ではなく これからそういうものを作っていこうというスローガンということだと思う。
経済が右肩上がりで行ってた頃は スローガンが叫ばれると よし 頑張ろうという気分にもなれたのだろうけれど、今は みんな 新しい資本主義 とか持続可能な開発目標(SDGs)とか そんな言葉を掲げているけれど それらの言葉はなにかわざとらしいというか ピンとこない と感じている人が多いというのが実情だと思う。
ある会社の ブログを見ていたら 「持続可能な開発目標(SDGs)の一環として当社では年賀状を廃止しました」と書いてあった。
そのような文章を見ると この会社 本当に 持続可能な開発目標のために年賀状を廃止したのだろうか? そうではなくて単に年賀状を持続できなくなったのだろう と思ってしまう。
そうならそうで 「諸事情により 年賀状は持続できなくなりました。どうぞご了承ください」とした方が 誠実な言葉に思えるのだけれど、そうは なかなか できないところに今の時代の思いや言葉のゆがみというか不自然さがあるのだと思う。
なんとかして、まともな言葉や思いをとりもどしていきたいなあと思う。
もちろん「新しい資本主義」という言葉を掲げて動いていこうとする政府の方針から得られる恩恵は受けていく姿勢は大切であると思う。