ネットのニュース速報で野村克也さんが亡くなられたと知った。やっぱり寂しいなと思う。の野村さんの現役時代僕は岐阜県の田舎で過ごしていた。
当時の岐阜県でプロ野球といえば全国ネットで巨人戦、名古屋ローカルで中日戦がテレビで見られたただけだった。
また当時はプロ野球ニュースのように試合のいいところをダイジェストで編集して流すような番組もなかったので僕は現役時代の野村さんのことはほとんど覚えていない。
もし野村さんが巨人か中日の選手だったら覚えていたかもしれないけれど。あるいはセリーグの選手だったら。当時は本当に地方に住んでいるものがパ・リーグの試合を映像で見るのは稀有な時代だった。
阪急ブレーブスは僕が子供の頃よく日本シリーズに出てきたからテレビでやる巨人の対戦相手の選手として山田久志投手、福本豊選手などは覚えているけれど野村さんがいた南海ホークスは僕が子供の頃はその日本シリーズにもそんなに出てこなかったし、、、。
だから、野村さんのことを意識して見るようになったのは引退後のことだ。
スター選手が通算2000本安打を記録したり通算400号本塁打を記録したりあるいは通算1000打点を上げたりした翌日に新聞には日本の通算打撃記録ランキングが載ることが多い。
それを見て僕は野村さんに注目するようになった。
通算本塁打も、通算打点も、通算安打も全部日本で2位。すごいなと思った。
ちなみにちょっとネットでパッと拾った記録を並べてみると通算本塁打は一位が王貞治さんの868本、二位が野村克也さんの657本、通算安打は一位が張本勲さんの3085本、二位が野村克也さんの2901安打、通算打点は一位が王貞治さんの2170 二位が野村克也さんの1988打点。
打撃三部門の通算記録でそろいもそろって全部二位。すごいことだなとしみじみと思う。
でも野球の記録にそんなに興味のない人はほとんどそれを知ることない。全部一位の王貞治さん、張本勲さんの影にかすんでしまっている。日本で二番目に高い山、北岳のことを知る人がそんなにいないのと同様に、、、。
野村さんが自分のことをかすみ草に例えた談話が残っていると言うけれど本当にかすみ草だなと思う。日本のスーパーコンピューターが世界で一番の技術を目指すと言っていたときに国会の委員会かなんかで「二位ではだめなんですか」と発言して物議を醸した国会議員がいたけれど二位では浮かばれないなとしみじみと思う。
しかしこれだけの実績があればそれは野球の世界では恐れ多い方なのだと思う。
さて、野村さんのことで一番印象に残っていることと考えたのだけれど、1996年の日本シリーズでバッター松井秀喜の場面でパ・リーグの仰木監督がピッチャー イチローをマウンドに送ったことがある。
このとき野村さんが出てきてバッターボックスの傍らでしばらく松井秀喜選手とぶつぶつ喋っていた。そして野村さんは松井選手に代えてやヤクルトの高津臣吾投手を打席に送った。
それは普段は外野を守っているイチローをピッチャーとして松井選手にぶつけたらいろんな意味で松井選手に失礼という気持ちが野村さんにはあったのだろうと思う。
あのときはオールスターなんだから硬いことは言わずにイチローと松井の対戦を実現したらいいじゃないかという声も少なからずあった。僕にもそういう思いは少なからずあった。しかし、それでもあそこで手堅く高津投手を代打に送ったのはまさに野村さんのプリンシプルだなと僕は思った。
いま野村さんがなくなったという事実に遭遇してあの96年のオールスターのバッター交代を思い出してみると、ピッチャーイチローというときに野村さんがそこにからんでいるというのは日本のプロ野球の歴史にとっては良かったのではないかと思う。
まさにそこにからむにふさわしい役柄の人だし、その絡み方には野村さんのプリンシプルも見事に現れている。
あそこで素直にイチロー、松井の対戦が実現していたらその場面での野村さんの存在感はかすんでしまったとおもう。ここでもかすみ草ということで、、、。
でも、あの場面で野村さんは自分のプリンシプルを貫くという形でちゃんと主要な登場人物の一人になってくれている。まさに野村さんらしいことだなと思う。
野球の試合での選手交代って一瞬の判断だけれどそこに野村さんのプリンシプルという形で事実が残る。結局、一瞬の出来事でもその人にふさわしい事実が残るし、天のはからいというのはそういうもなのだなと思う。
3年ほど前に野村さんの妻、野村沙知代さんがなくなったニュースが流れたときに僕の母から電話がかかってきて
「野村克也さんのインタビュー、テレビで見たけど、本当に奥さんをなくしてあんなに呆然としている人の顔見たことないわ。よほどショックやったんやね」と母は言っていた。
本当にきっとそうだったのだろうと思う。天国でまずは奥さんとごゆっくりと祈りたい。
96年オールスター野村克也監督の出番です。↓