今日付の読売新聞社の英字紙JapanニュースにAP通信の記事が載っていて、そこではオランダのハーグでおこなれた国際司法裁判でミャンマーの軍を養護するアウンサンスーチーさんのことが報じられている。
見出しは日本語に訳すと「虐殺の裁判でスーチーは軍を養護する」となっている。ずいぶん冷徹な見出しだと思う。ミャンマーのように政情が複雑に込み入った国のニュースを自分の力で要約することは到底できないのでネットに出ていたニュースウイーク日本版の記事の要約を転載する。
ノーベル平和賞、今年この権威ある賞を授与されたのはエチオピアの若き「改革派」指導者アビー・アフメド首相だ。国内では今も民族対立が続き、民主化の実現には程遠い状況で、受賞は時期尚早との批判が渦巻く。それでもアビーは12月10日、ノルウェーの首都オスロで行われた授賞式に臨み、晴れがましい表情で栄誉を受けた。
ノルウェー・ノーベル委員会に平和への貢献を認められ、栄誉を与えられたからといって、政治指導者が強権支配やシニシズムに走らないとは限らない。それを見事に示したのは、1991年にこの賞を受けたミャンマーの事実上の指導者アウンサンスーチーの行動だ。彼女もまた今週ヨーロッパに飛んだ。ジェノサイド(集団虐殺)の罪で提訴された自国政府の代表としてオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に出廷するためだ。
ミャンマーの民主化運動の旗手で、長年自宅軟禁されていたスーチーは、1990年代には人権と民主主義のシンボルとして国際社会に高く評価されていた。だが近年の行動は彼女を支持し尊敬していた人たちを驚かせている。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャを1万人以上殺害し、数十万人を国外逃亡に追いやったジェノサイドは、ミャンマー軍指導部が主導した組織的犯罪であることを示す圧倒的な証拠がある。それにもかかわらずスーチーは、かつて自身の敵だった軍指導部と手を組むようになっているからだ。
スーチーは12月10日、ハーグの法廷で、ジェノサイドの目撃者が集団レイプや子供たちの虐殺、一家全員を生きたまま焼き殺すなどの残虐行為について証言を行う間、表情ひとつ変えずに聞いていた。そして翌11日証言に立ち、ジェノサイドという非難は「誤解を招く」ものだと主張した。ミャンマー西部のラカイン州で行われた軍事作戦は、ロヒンギャの武装集団が警察を襲撃したために始まった過激派掃討作戦だ、というのだ。
本当にごく手短に要約するとスーチーさんは長年非暴力の民主化運動に取り組んでこられてノーベル平和賞も受賞された。しかし事実上の政治指導者になった今、軍によるイスラム少数民族ロヒンギャへの迫害を止めようとしないということでここ数年かなりやり玉に上がっている。
僕の記憶にある範囲ではオックスフォード市がスーチーさんに与えた名誉市民の称号を剥奪してしまった。この他にもスーチーさんが世界で剥奪された名誉的な称号はいくつもあると思う。
そういうスーチーさんに近年向けられた批判的なニュースを見るたびにスーチーさんも軍部などいろんな圧力のためにやむにやまれないところがあるんだろうなと思ってきた。
しかし、長年ミャンマーの軍部によって自宅軟禁状態に置かれそれがやっと解けて指導者になったと思うと今度は軍による民族迫害を止められないと避難を浴び本当にこの人の人生どうなっているんだろうと思ってしまう。まるで苦難のために生まれてきたような人生じゃないかと。
新聞にはハーグの法廷に立ち軍の立場を養護する発言をするスーチーさんの写真が載っているけれど民主化運動のときの自信に満ちた顔はどこかに行って、もう魂が抜け落ちたような顔になってしまっている。
僕にとってはこんなに魂が抜け落ちたような顔になっても国際司法裁判所に立てるというその精神力だけでもひとつの驚きに映ってしまう。
このスーチーさんの魂が抜けたような顔を見た時、僕は故郷岐阜、郡上節の歌詞のひとつを思い出した。
郡上節げんげんばらばらという歌のこんな歌詞だ。
「嫌ならいやと言やしゃんせ
相談づくの事なれば
切れても愛想はつかしゃせぬ
酒じゃあるまいその無理は
他に言わせる人がある」
僕は郡上節の注釈を読んだことがないので違っているかもしれないけれどこの歌詞は封建時代に無理に嫁に行く女性にいやならいやといえばいいのにという意味だと前後関係から推測する。
それと文脈はまるで違うけれど、スーチーさんの法廷での魂の抜けてしまったような顔を見ると無理に言っているというのは語弊があるが、普通の人ならとても耐えられないほどの自己矛盾に耐えながら語っているように思えてならない。というかごく直感的にそう思う。
もちろんこれは政治的な文脈での話なのでこのように書くと、虐殺をとめないばかりか養護しているのは事実じゃないかということになろうかと思う。
もちろんそれは僕もそのとおりと思う。
しかし、そこに今のスーチーさんの置かれた立場の複雑さがあるように思えてならない。
それにしても自分が民主化運動でやってきたこととはある意味真逆のことをしなければならなくなってしまう。本当にこんなことってあるんだろうかと思う。
お釈迦様の言葉に諸法非我 自分がすでに自分のものではない というものがあるけれどスーチーさんの歩みを見ていると本当にそのとおりだなと思う。
今はスーチーさん国際的に非難を浴びているけれど彼女に対する評価が定まるのはスーチーさんが亡くなってからと思う。亡くなってから、あのときは言えなかったけれどという証言が出てくることは十分ありうるし。
ただ、今の時点で、もし、スーチーさんにとって何かプラスのことがあるとすればそれはスーチーさんが国際司法裁判所に立っているというその事実そのものだと思う。もし彼女が確信犯的な強権支配者だとしたら、なんだかんだ言い訳して、そもそも国際司法裁判所には立たないと思うから。
結局、人間死ななきゃわからないのかと思うとそれはそれでウ~ンと思ってしまうけれど、、、。
ここ二日間は大助 花子さんの病気の話や梅宮辰夫さんが亡くなった話、そしてスーチーさんの話などで僕もなんだかちょっと落ち込んでしまった。
何事もだんだんによくなっていきますように