ケンのブログ

日々の雑感や日記

区民ホールの第九

2019年12月15日 | 音楽
隣の街の芸術劇場で歌の指導をしておられるK先生という方が、大阪市南部の区民ホールでベートーヴェン交響曲第9番ニ短調作品125(第九)の指揮をされたので聴きに行った。

最初にピアノの伴奏でヘンデルのオラトリオ メサイヤよりハレルヤが演奏される。アマチュアのコーラスなので音が高いところは悲鳴のように聴こえたりもするけれどそれなりに感動もする。指揮はK先生とは別の太った方がしておられたけれど、リズミカルな身のこなしでうまく指揮しておられた。

普段オーケストラのバージョンを聴き慣れているのでピアノの伴奏だと音楽全体がおとなしく聴こえる。決めのところでしばしば出てくる金管のきらびやかな響きがピアノだとないので頭の中で想像で補って聴いたりする。たまにピアノの伴奏のバージョンで聴くことでヘンデルの金管の使い方が曲のムードを高めるためにとても効果的であることを認識する。

つぎに指揮はK先生に変わり中島みゆきの地上の星 糸 時代 誕生のピアノ伴奏による合唱のメドレーが演奏される。

糸の演奏中に、あっパッヘルベルのカノンに雰囲気がにてると思った。それでピアノの伴奏に合わせて隣の人の迷惑にならないようにちょっと唇を動かす程度にパッヘルベルのカノンを口ずさんでみると伴奏にピッタリ合う。ひょっとしてカノンコードかなと思った。

それで家に帰ってきてグーグルで「糸 カノンコード」と入れて検索すると検索上位のサイトに糸はカノンコードの代表的なヒット曲と書いてあった。ふだん気づかないことでもピアノ伴奏というシンプルな演奏形態になると気づくことができて幸せだった。

ちなみにこのサイトによると愛をこめて花束をや井上陽水の 少年時代などもカノンコードでこのコードは日本人の心になじみやすいのでヒットの法則と呼ばれていると出ていた。勉強になった。

まあ、井上陽水や中島みゆきくらいの実績があると、ちょっとカノンコードでヒット曲でも書くかという感覚でこのような曲は書けてしまうものかもしれない。

糸をはじめ地上の星 誕生などみゆきさんが十分な実績を残してからTV番組とのタイアップ、カノンコードの使用などある程度ヒット狙いで書いた曲って彼女がデビューしてから2,3年以内に書いた曲に比べるとちょっと種類の違う音楽であるようにも思える。

デビュー当時の歌は本当に自分が歌いたいことを、そして90年代以降のヒット曲は人を喜ばせるために書いた曲というイメージが強いように僕は思う。どちらかといえば初期の曲が僕は好き。

井上陽水さんも僕にとっては同じことで、傘がない とか 冷たい部屋の世界地図     東へ西へ 人生が二度あれば など初期の頃の作品が僕は圧倒的に好きで 実績を積んでから書いたワインレッドの心 少年時代などの曲は僕にとっては好きの順序で言えば第二グループに属するように思える。もちろんみゆきさんも 陽水さんも実績を積んでから書かれた曲も好きであることに違いはないけれど、、、。

中島みゆきはK先生と北海道の同郷ということで先生も力強く指揮しておられまた、みゆきさんの曲も合唱として歌うととても普遍的な魅力があるように思えてとてもよかった。

その次に今日出演する歌手の方がオペラのアリアなどを歌うコーナーがあった。

そして20分の休憩をはさんでアマチュアの合唱団とプロの小編成のオーケストラ、K先生の指揮で第九の第四楽章が演奏された。アマチュアの合唱で演奏するということもあるかもしれないけれど、K先生は遅めのテンポでとても丁寧に指揮しておられた。

ついどこかで盛り上げなくなってテンポを早くしたり思いっきり音を出させたりしたくなるものだけれど、それをせず終始冷静に音楽を進められたのはやはり普段の先生の精進の賜物と思った。本当にオールプロの演奏も含めて考えてもこれだけ丁寧に進む演奏もそんなにないと思った。

オーケストラで歓喜のテーマが出てバリトンが歓喜の歌を歌いそれが合唱と四重唱へと引き継がれる一連の音楽の流れは本当に慎重に慎重を期すベートーベンを象徴しているようでとても感動する。素晴らしい音楽だなと思う。うるうるっときた。

昔は第九ってとてもアマチュアが演奏できるレベルの曲ではないと思っていたけれどこの歳になってこうしてアマチュアが演奏することは本当に意味のあることと心の底から思えるようになった。

オーケストラ、合唱 独唱 四重唱による歓喜のテーマの提示が一通り終わったあと音楽には長い休符がある。かなり大勢の人がここで音楽が終わったと思って拍手をしてしまった。僕も一瞬「そうか、今日は特別の演奏で第四楽章の前半だけで終わりか」と思ったけれどそうではなくK先生は拍手が終わるとおもむろに続きを演奏し始めた。

音楽が途中で中断されてまた演奏を始めるってそんなに簡単なことではない。K先生って何気にすごいなと思ってしまった。

昔、読んだ近代フランスの大作曲家ドビュッシーの音楽評論に第九に言及した章があってそこに第九におけるシラーの詩は音響的な意味を持つにすぎない、ということが書かれていた。きっとドビュッシーの書いているとおりだと思ったし、そこまで音楽を昇華させてしまうベートーベンはやはりすごいなと感じる。ドイツ語の歌詞で意味などわからないのにみんなが感動できるのはそれも大きな要因であるように思う。本当に第九という音楽は人類の最高の宝物だなと改めてそう思う。



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