久しぶりに歩きました。
桜はもう満開は終わっていますが すべて散ってしまった状況でもありません。
桜とカエデが交互に植えてある並木道を通りました。
カエデも新しい葉が出てきています。
関西では 行きつけのお宮の境内に桜とカエデがあって、毎年、桜の開花と カエデの葉がでるのは同じだなと思っていました。
しかし、よく考えてみると、桜も 花が散るとすぐに葉が出るので 要するに 桜とカエデは同じ時期に葉が出始めるということだと気づきました。
桜は花があまりにも目を引くのでつい葉が脇役になってしまうことに気づきました。
歩くと気づくことが多いと思います。
■傘がない
井上陽水さんの「傘がない」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただけるとうれしいです。
この歌は さびの部分で「行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ」を何度も何度も繰り返します。
ラジオからその部分が流れてくるといやでも耳にとまります。
小学校高学年のころ そのさびを聴いて「この歌 何?」と僕が言ったら、僕よりも年長の従妹が「ケンちゃんこの歌 知らないの? 井上陽水よ」と言いました。
その時 僕は井上陽水という名前をはじめて知りました。
「都会では 自殺する 若者が 増えている
今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた
だけども 問題は 今日の雨 傘がない」と歌が始まります。
都会では自殺する若者が増えている というのが一般的社会情勢です。
しかし、問題は今日の雨であって 傘がない というこの歌の主人公の個別の状況であるということです。
一般概況から個別の状況への視点のシフト あるいは一般概況と個別の状況の対比 これらは文部科学省の新しい指導要領によれば「論理国語」の領域でしょうか。
たぶん、そうではないかと思います。きっとそうかも知れません。
いずれにしても 一般概況から 個別の状況に視点がシフトするというのは論理的な言葉の構成であることには変わりありません。
難しい単語を使っていても 文脈の展開が論理的でなければそれは論理的な文章ではありません。
やさしい単語を使っていても 文脈の展開が論理的であればそれは論理的な文章です。
文脈が大切ということと思います。
そのことを 傘がない という歌の歌詞は教えてくれると思います。
「行かなくちゃ 君に会いに 行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨に濡れ」と何度も 君に会いに行かなくちゃ と繰り返すところはこの歌の圧巻だと思います。
「傘がない」など昭和40年代の歌は 本当に思いをストレートに表現する歌が多かったと思います。
行かなくちゃ と繰り返すその様は 感動的だと僕は思います。
歌のバックにときどき 男の人の声が聞こえる部分がありますが、たぶん近くで盛り上がっていた高校生か大学生の声だと思います。
↓井上陽水さんの「傘がない」をカラオケDAMの音源で歌いました。
桜はもう満開は終わっていますが すべて散ってしまった状況でもありません。
桜とカエデが交互に植えてある並木道を通りました。
カエデも新しい葉が出てきています。
関西では 行きつけのお宮の境内に桜とカエデがあって、毎年、桜の開花と カエデの葉がでるのは同じだなと思っていました。
しかし、よく考えてみると、桜も 花が散るとすぐに葉が出るので 要するに 桜とカエデは同じ時期に葉が出始めるということだと気づきました。
桜は花があまりにも目を引くのでつい葉が脇役になってしまうことに気づきました。
歩くと気づくことが多いと思います。
■傘がない
井上陽水さんの「傘がない」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただけるとうれしいです。
この歌は さびの部分で「行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ」を何度も何度も繰り返します。
ラジオからその部分が流れてくるといやでも耳にとまります。
小学校高学年のころ そのさびを聴いて「この歌 何?」と僕が言ったら、僕よりも年長の従妹が「ケンちゃんこの歌 知らないの? 井上陽水よ」と言いました。
その時 僕は井上陽水という名前をはじめて知りました。
「都会では 自殺する 若者が 増えている
今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた
だけども 問題は 今日の雨 傘がない」と歌が始まります。
都会では自殺する若者が増えている というのが一般的社会情勢です。
しかし、問題は今日の雨であって 傘がない というこの歌の主人公の個別の状況であるということです。
一般概況から個別の状況への視点のシフト あるいは一般概況と個別の状況の対比 これらは文部科学省の新しい指導要領によれば「論理国語」の領域でしょうか。
たぶん、そうではないかと思います。きっとそうかも知れません。
いずれにしても 一般概況から 個別の状況に視点がシフトするというのは論理的な言葉の構成であることには変わりありません。
難しい単語を使っていても 文脈の展開が論理的でなければそれは論理的な文章ではありません。
やさしい単語を使っていても 文脈の展開が論理的であればそれは論理的な文章です。
文脈が大切ということと思います。
そのことを 傘がない という歌の歌詞は教えてくれると思います。
「行かなくちゃ 君に会いに 行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨に濡れ」と何度も 君に会いに行かなくちゃ と繰り返すところはこの歌の圧巻だと思います。
「傘がない」など昭和40年代の歌は 本当に思いをストレートに表現する歌が多かったと思います。
行かなくちゃ と繰り返すその様は 感動的だと僕は思います。
歌のバックにときどき 男の人の声が聞こえる部分がありますが、たぶん近くで盛り上がっていた高校生か大学生の声だと思います。
↓井上陽水さんの「傘がない」をカラオケDAMの音源で歌いました。