7月27日 京都市交響楽団第691回定期演奏会を聴きに行った。
指揮 沖澤のどかさん
ピアノ 上原彩子さんで
最初に演奏されたのがプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番
第一楽章が始まってしばらくしてピアノがとても速いパッセージを弾いてそれに続いてフルートが合いの手を入れる場面があったのだけれど、そこに演奏が到達した時に、なんだかピアノとフルートのテンションというか意気がとても合っていると思った。
その時、感じた印象が結局、僕がこの演奏に対して抱いた印象の大半を支配してしまった。
オーケストラとピアノの意気がとても合っている。
その思いが演奏を聴いている間、ずっと僕の心を支配していた。
弦楽器も良く鳴っていて、それもピアノと息があっているように思えた。
そして 華麗で夢のような世界、そんな風にも思った。
通常 僕はコンチェルトの演奏を聴くときに 自分の意識を指揮者に向けるべきかソリストに向けるべきかわからなくなってしまうことが多いけれど そんなことを思う必要もないほどオーケストラとピアノが一つになっているように僕には思えた。
上原さんのピアノは割とヴィルテゥオーソ的な演奏であるように僕には思えた。
通常、このようなピアノの演奏である場合 ピアノが演奏を引っ張っているという印象を受けることが多い。
でも そういう印象を受けることなく ピアノとオーケストラがひとつと思えたのは京都市交響楽団がそれだけすごいということなのだろうか。
それで 指揮者の沖澤さんに目を向けると とても しなやかな動きをしていらっしゃるように僕には見える。
きっと このしなやかさが ピアノと指揮者の意識の壁を溶かしてしまうような役割をはたしているのではないだろうか 僕にはそんな風に思えた。
本当に 演奏中は夢のような気分に浸ることができて、とてもよかった。
あと、音楽を聴く時間のかなりの部分がベートーヴェンを聴く時間という僕にとってこのプロコフィエフのコンチェルトはキラキラと輝くような和声もしばしば出てくる。そういう和声のキラキラ感も上原さんの演奏ではきれいに出ていて素敵だなと思った場面が何度かあった。
上原さんはアンコールにドビュッシーの子供の領分の終曲を演奏してくださった。
ちょっとアグレッシブな演奏に僕には思えたけれど どことなくおどけているような気もして楽しい演奏だった、そしてなんとなく 上原さんってちょっと不思議ちゃんかも と思った。
そういう上原さんの要素もオーケストラとピアノが一つに聴こえるしなやかさを醸し出したのかもしれないとアンコールを聴いた後で思った。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ストラヴィンスキー バレエ音楽ペトルーシカ
この演奏も僕には華麗でしなやか 夢見心地の演奏に思えた。
ストラヴィンスキーは家で録音を聴くことがほとんどないので演奏のどこがどうということはあまり覚えていないけれど 金管が弱音器をつけて演奏する場面が多くて 弱音の金管もいいなあとかそんなことを思いながら演奏を聴いていた。
木管ももちろん美しかったけれど ちょうど僕が座っていた席はトランペットがよく見える位置で 弱音器をつける場面が多い中、弱音器をつけずに演奏されるトランペットの音がとても甘く柔らかく聴こえてそれも印象的だった。
本当に僕にとってはよかったなと思える演奏会だった。
演奏会が引けた後 僕が大阪にいたころの思い出の商店街に行ってそこの中華料理店に入った。
最初カウンターに座ったのだけれど 見ると店内に誰もお客さんがいない。
それで僕は店主の奥さんに 「誰もお客さんがいないみたいなのでテーブルに座ってもいいですか」と言った。
奥さんは「はいどうぞ」とおっしゃってくださった。
でも 僕は 誰もお客さんがいないという言い方は お店が流行ってないと言っていると思われたらまずいなと思った。
それでテーブル席から奥さんに「すみません」と声をかけて
「今、お客さんがいないと言いましたが なんだかお店が流行っていないような言い方で 言った後しまったと思いました。ごめんなさい。みんなおなかがすいたらお店に来ると思いますので」と言った。
すると 僕が食事をしている最中にまず二人組の会社員の方が それから スポーツ新聞を持った いかにも 商店街でよくみかけるおじさん という感じの人がお店に入ってきた。
ああ、これで 僕がお店に誰もいないと言ったことが帳消しになってよかったなと思った。
たぶん 店主の人も同じことを思われたのだろうか 僕が奥さんにお勘定をお願いした時に奥の厨房から「ありがとうございました」と言ってくださった。
よかったと思った。
それはともかくいちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。