ケンのブログ

日々の雑感や日記

満月の夜

2022年12月09日 | 日記歌入り
12月8日 満月が出ていました。

月齢を見ると14.2でした。

もう 17時は空は暗くなっていて 低いところに満月が見えました。

低いところに出る月は なぜか 大きく見えます。

これは 目の 錯覚だそうです。

満月で 空が明るく また ちょっと 薄曇りだったせいもあり オリオン座は見えませんでした。

最近 夜 オリオン座を 探してしまうことが 多くなりました。

12月8日は 真珠湾攻撃の日 ということで 太平洋戦争の話題も新聞に載っています。

僕は12月8日と言うと ジョンレノンが亡くなった日 と いう方を むしろ意識します。

今 街に クリスマスソングが 流れています。

伝統的なクリスマスソングは 敬虔な 感じのものが多いですが ポップスのクリスマスソングは 敬虔と言うよりも クリスマスの 楽しい雰囲気を歌ったものが多いと思います。

その中で ジョンレノンの ハッピークリスマスは ちょっと異色の歌だと思います。

どう 異色かと言っても すぐに 言葉は浮かびませんが、、、。

この歌の最後は 「もし 望めば 戦争は終わる」となっています。

また 歌詞の途中には「ことし 私たちは 何をしたんだろう」 「世界は とても 間違っている」という言葉も出てきます。

今の時世に ふさわしい 歌のように思います。

■悲しみが止まらない
杏里さんの「悲しみが止まらない」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1990年代に杏里さんのベスト盤CDを買って よく 聴いていました。

収録されているヒット曲の中で この曲がいちばん好きでした。

リアルタイムでヒットしていた時も好きな曲だと思っていました。

どこかで 杏里さんも この歌が かなり 気に入っていると読んで そうか それはよかったと思った記憶があります。

いかにも1980年代 ディスコが流行っていたころの歌の感じだと思います。

僕は盆踊りのステップが 身に沁みついてしまっていて ディスコで踊るのは苦手でした。

↓杏里さんの「悲しみが止まらない」をカラオケDAMの音源で歌いました。

手の早い男はダメ 昔の名まえで出ています

2022年12月07日 | 日記歌入り
野球の イチローさんが 稲葉篤紀さんと対談している動画を見た。

その中で イチローさんは 「打者は 『最短距離でバットを出せ』 などどいう わけのわからない教え方をされるから どうしても 体が 先に 投手の方を向いてしまう。 つまり 腰が回転するよりも先に 手の方が 回転してしまう。 逆に言うと 腰より 先に 手の方が 回転してしまうから 体が 投手の方に 開いてしまう。 だから 打てない」

という主旨のことを話していた。

その話の 締めの部分で イチローさんは 「手の早い男はダメですよ」という
その言葉に稲葉さんが「やっぱり 下から 先に行かないといけない」と応じる
するとイチローさんが「なんだか 話がエロいですねえ」と言う。

まあ そんな やりとりが あった。

でも 「手の早い男は ダメ」 って 単なる冗談ではない 意味があると思う。

稲葉さんは 年下のイチローさんの 話を うなずきながら 聴いている。

年下に話させるのが うまいから 稲葉さんは イチローさんから いい人 と言われるのだと思う。(イチローさんが稲葉さんのことを いい人 と言っているのを どこかで読んだことがある)

イチローさんも 稲葉さんも 愛知県の出身で 空港バッティングセンターという 名古屋の北にある バッティングセンターに通っていた。

今 時々 その バッティングセンターの横を 自動車で通過することがある。

空港バッティングセンター という 縦長の看板を見ると イチローさん ここに通っていたんだなあ と思う。


■昔の名前で出ています
小林旭さんの「昔の名まえで出ています」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

僕が 中学生のころ この歌がヒットしていました。

♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの♪ という歌の初めの部分を 
♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれてた♪ と たぶん わざと 間違えて鼻歌で歌って 生徒に受けていた 体育の先生がいました。

その先生に 何かの機会に 「勝てますかねえ」と僕が質問したら
「勝つと思うな 思えば負けよ」とその先生は 美空ひばりさんの 柔の 歌詞をそのまま 僕に 返してくれました。

先生とか おじさんとか みんな ヒット曲を 鼻歌で歌っていた時代だったな としみじみと 思い出します。

当時は あまり 意識しませんでしたが この歳になって じっくり 小林旭さんの歌を 動画で 聴いてみると 旭さんは いかつい 風貌ですが 声は ハイトーンなんだな と思います。

↓小林旭さんの「昔の名まえで出ています」をカラオケDAMの音源で歌いました。

奥ゆかしい表現

2022年12月05日 | 日記
中島みゆきさんの昔のヒット曲に 「誘惑」という歌がある。

僕は この歌のレコードはもっていない。

けれど、この曲がヒットした1980年代は ヒット曲は ラジオや レコード店 などでよく流れていたから メロディラインは 覚えている。

歌詞を見ると リフレインと言うのだろうか 次の言葉が 歌全体で3回繰り返される。

♪あなた 鍵を置いて
わたし 髪を解いて
さびしかった さびしかった 
夢の続きを 始めましょう♪

あなたが 鍵で 私が 髪か

鍵と 髪で うまく 韻を踏んでいるなと思った。

韻を踏む表現の美しさに気を取られて 気づかなかったけれど あなたが鍵を置いて 私が髪を解く シチュエーションって 例えば 彼の部屋に遊びに行ったときだろうか。

たぶん 鍵を置き 髪を解く というシチュエーションは 男性よりも 女性の方が 速く 連想できるのではないかと 思った。

僕自身 頭が 坊主なので 髪を解く という 状況が わからなかったので 状況を連想するのに 時間が かかってしまったから、きっと それ(連想)は 女性の方が早いだろうな と思った。

まあ 女性が書いた詞だし。

みゆきさん 藤女子大学 国文科と ネットのプロフィールに出ているし 卒業論文は 谷川俊太郎さんの 研究だったと どこかで読んだ記憶がある。

やっぱり すごいな と思う。

♪あなた 鍵を置いて わたし 髪を解いて さびしかった さびしかった 夢の続きを始めましょう♪

ちょっと それなりに 古典とかも読んでないと 書けない詞であるように思う。

まあ 今の 日本語からは こういう 言葉は 失われつつあるように感じる。

ただ、みゆきさんの詞に表現されている感覚 それは 失ってはいけない 感覚であるように 僕は思う。

そこで あらわされている感覚は きっと 奥ゆかしさ という 感覚なのではないかと僕は 思う。

本当に 最近は 奥ゆかしさが いろんな 意味で 失われているようで 寂しい。

なんとか そういう感覚を 私たちが 取り戻せると いいな と思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように

それを第一に願っていきたい。




冬支度 恋人がサンタクロース

2022年12月04日 | 日記歌入り
十二月になって 何となく 体の芯まで冷えるような寒さになってきた。

まだ、もっと寒くなるとは思うけれど。

こちらは 大阪よりも寒い。

昨年は リビングは エアコンの暖房だけで過ごしていたけれど 窓際はずいぶん寒かった。

昨年を反省して 今年は家電量販店で800ワットの廉価電気ストーブを購入。

廉価なので 聴いたこともない メーカーのものだけれど エアコンの暖房と併用すると かなり効果がある。

もっと 寒くなったら どうか わからないけれど 今のところは なんか よさそうな 気がする。

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大阪は ほとんど 雪が降らないし 降っても積もることは めったにない。

こちらは 昨年 何度か 積もった。

けれど 普通のタイヤで 低速運転していた。

今年も もちろん 雪が降ったら低速運転するつもりだけれど さすがに 冬用タイヤにしたくなり ディーラー系のお店で タイヤの購入と取り換えをセットでお願い。

お店の方が 予約だけ取っていって ネットで もっと 安いのを見つけて キャンセルする人が あとを絶たないので 料金は前払いしてほしいと言われた。

お店の人の気持ちは わかるし 正直に前払いの理由も言ってくれたので 前払いで払った。

前払いしますと言ったら 最初に勧めてくれたタイヤの 4分の3くらいの値段のものを改めて勧めてくれた。

早得 という言葉は あまり 好きでないけれど なんとなく 前払いすることで お店の方もリスクを回避できて その結果として 早得になったような気がする。
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自動車の お守りも 新しいものを お受けする。

僕は お宮の 駐車場などで よく 自動車を拭いたりするので 駐車場の使用料というか 言葉は 悪いけれど 駐車場を いろいろ 使わせてもらう みかじめ料のような きもちも含めて お受けした。

もちろん 交通安全を守ってほしいという 気持ちが第一だけれど。

大阪の 京阪電鉄の車両にも 確か 沿線の 交通安全の神様の お守りがついていつものが あったし、、、。

最近の あおり運転の ことで ダミーカメラを つける人も いるようだ。

そのことを 母と 話していたら 「みかじめ料徴収のかわりに その筋の人が おしぼりや 観葉植物 絵画など そして お守りや お札を売ることもある。

お守りを 自動車に つけていたら みかじめ料 払ってる 自動車と思ってもらえるかもしれない」という意味のことを母が言った。

まあ 母らしい発想だなと思いつつも そういうことも あるかもしれないと思った。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。

■恋人がサンタクロース
松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

↓松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」をカラオケDAMの音源で歌いました。






こだわりや 期待が しんどさを生む

2022年12月02日 | 日記
もう 十二月になったんだなと思う。

早いな。

12月1日付の読売新聞の人生案内の コラムに 50代の女性の 投書が出ている。

こんな 内容の投書だ。

“”その女性は 20代の子供が3人いて 長男は結婚して3年になるけれど 子供がまだいない。

周りから 「お孫さんは?」と言われるたびに悲しい気持ちになる。

友達に孫ができたと聞くと、友達の縁を切ってしまう。

義姉には 孫ができ 幸せそうな義姉を祝福できない。

孫の顔を観られたら 死んでもいいとさえ思う。

孫ができたら すべてが解決するという思いを断ち切りたい。“”と。

僕は 子供さえいないので 孫のことを聞かれることはない。

でも 孫の話題になると 悲しくなってしまうという気持ちは 想像できなくもない。

「お孫さんは?」と聞かれると 聞いた相手は きっと 「はい 女の孫がいます」というような答えを期待しているのではないかと 考えてしまう。

相手の 期待に沿うような 答えが できない。

会話が気まずくなる。

そんなことが きっかけで 孫の話題になるとつらくなる。

という ことも あるかもしれない。

孫がいないことそのものが つらいのか 孫の話題をふられることが つらいのか きっと 女性本人の気持ちの中でも わからなくなっているのではないかと 想像してしまう。

そして そういう きもちが いつの間にか 孫ができたら 今の こういう つらい気持ちを解決してくれるのに という 強迫的な 思いへと 高まってしまう。

そんな 感じなのではないかと 想像する。

孫とは 関係ない 世界で 生きている 人にとっては どうでもいいことが そういうのを 会話の中で 期待されるような 立場になると もう 孫の存在が 強迫観念のように のしかかってくる。

そういうことだと思う。

こういう 気持ちって 形の違いこそあれ 誰にでも あることではないかと思う。

僕の場合は 孫でなないけれど 例えば 学歴の話を振られるのは 苦手。

なぜかというと 僕は 文系なのに 私立大学の文学部と 国立大学の法学部を卒業している。

「大学は どこ?」と聞かれて 正直に答えると

ええ? 文系なのに 大学を二つも? なんで? という方向に どうしても 相手の反応は なりがちだ。

国立大学と言うと センター試験を 連想する人も いると 思うけれど 僕の場合 国立大学は 編入学試験を受けて入っているので センター試験を連想する人の期待にも 会話の中では 沿えないことになってしまう。

そして そんな風に 会話が 混乱するので 聞いた相手も 結局 僕が どこの大学を出たのか 頭に 入っていない ということを 人生の中で 何度も 経験してきた。

ましてや 僕の場合 大学を 二つも出た割には 一流の会社に 勤めたわけでもないし 余計と わけのわからないことになってしまう。

だれしも 混乱した 会話の 内容は 覚えていない ということは 多かれ少なかれ 経験したことがあると思う。


これが 京都大学の法学部でも ストレートに卒業していれば

「大学はどこですか?」
「はい 京都大学法学部です」
「ああ そうですか それは すごいですね」という具合に 会話が すっと 簡単に スムーズに 進む。

誰しも スムーズに進んだ 会話の内容は 覚えている場合が多いだろう。

会話がスムーズに 進む上に 相手の記憶にも残りやすい。

こんな ありがたいことは ない。

と 僕などは 思ってしまう。

これも 大学など 関係ない世界で 生きている人には どうでもいいことかもしれない。

孫とは 関係ない世界で 生きている人には 孫など どうでもいいように、、、。

結局 人間は 自分が こだわりの あることで しんどさを 感じる と言うことなのだと思う。

ブッダの教えの 大切な要素のひとつが こだわりをなくすということ。

こだわりを なくすことが 苦しみから 逃れる 道。

と ブッダは 説いたわけだけれど その こだわりが なかなか なくならないから しんどい と まあ 僕の場合も そんな 人生を歩んできてはいる。

歳をとったり 病気になったり やがて 死んでいく この身のことも そもそも 生きるということに対する こだわりを なくせば 苦では なくなると 思うのだけれど その こだわり 執着が とれないから あれこれと 考えたり 悩んだりということになってしまう。

こだわりが 取れると いいな と思う。

まあ そうなることを めざしていきたいとは 思うのだけれど。

言うは やさしく 行うは 難し ということだ。

それは ともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように

それを第一に願っていきたい。