硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

恋物語 34

2021-04-26 20:34:56 | 小説
今振り返ってみると、物心が付いた頃から女性として生きるのを諦めていたような気がする。
きっかけは何処にでもある平凡な出来事。私に付いた不本意なあだ名が発端である。
小学生では、「土偶」、中学生では「地蔵」と言うあだ名でからかわれた。
最初は心底嫌だったが、幼いなりに協調することに努めた。
それは、からかわれ、卑屈になって、いじめの対象に陥っていく人をみて、反発すれば、そうなるのではないかと恐れたからだ。

中学生になると、可愛らしさと美しさは、正義をも覆す力を内包しており、男子から無条件に優遇されるのだと気づいた。
なぜ可愛く産んでくれなかったのかと、両親を呪ったこともあった。
身体の部位や性格をほめられても、鏡に映る自分は自分のまま。
鏡に向かい、「この世で一番美しいのは誰? 」と尋ねても、鏡は私の名を呼びはしない。かと言って、白雪姫に嫉妬する継母のような醜い者にはなりたくはない。
大きくなったら綺麗になるわ。と慰められても、皆から可愛いと言われている子と、そのお母さんを見れば、希望を抱かせる方が罪だと気付かない大人達に不信感を抱かずにはいられなかった。
ドン・キホーテのサンチョ・パンサは言った。この世にはただ二つの家柄しかない。持てる者、持たざる者だと。
みにくいアヒルの子は、アヒルのコミュニティで過ごしていたから、疎外されていただけ。白鳥に成長しても、白鳥が美しい姿であると認識しているのは人間の眼なのだから、アヒルたちからみれば、醜いままなのだ。
生まれながらに不平等なのは、神のなせる業なのか。
シーシュポスのように留まる事のない岩を山頂に向かって永遠に押し上げていろというのか。それとも、イエスのように十字架を背負いゴルゴダの丘を登れというのか。
他者をいじめたり、だましたりする人はたくさんいるのに、なぜ、私にこのような試練を与えるのか。
しかし、嘆いてみても、呪ってみても、無力感だけが感情の塊となって私に重くのしかかってきただけだった。