小学校の同級生が訪ねてきて、いきなり「これに署名して」と、A4のプリント用紙を差し出された。
A4用紙に引かれた枠線の中にはすでに数名の名前が記されていて、少し戸惑っていると、「小学校を残すのにいる」と迫られた。
そして、彼は「署名する事はこの町に住む者にとって、卒業生にとって、当然の行為である」と言わんばかりの圧力でボールペンを突き付けてくる。
僕の住む町では、過疎化と少子化が進み、市の教育委員会は小学校の合併を進めているのですが、市報の中でも何度か、その問題について会合の場が設けられたことが報告されていて、そのことによって、合併反対派がいることは周知していた。
その活動がついにに署名活動にまで発展したことを実感したが、僕は合併に対して抵抗がなく、むしろ推進派的な考え方であるので、違和感しかなかった。
しかし、彼は、この狭い町で自営業を営んでいて、住民や権力を持つ人との繋がりがあるので、同調もひときわ強い。
おそらく僕とは真逆の人であるから、僕の考えなど聞く耳はなく、「早く署名しろ」無言の圧力をかけてくる。
時々お世話にもなっているので、仕方なくペンを取り署名しながら、「けど、人が減って言ってるんだからさ・・・」と、ささやかな抵抗を試みるも、「そやけど、ひつようやろ!」と、語彙を強め言葉を遮った。
僕は何故、そこまでして反対するのかを知りたかったのであるが、「そやけど、ひつようやろ」は、「もう、それ以上聞くな」と同義語だと悟り、自分の意思を貫く強さは勝てないし、ここで思想の議論を始めたところで、最後は御上が決定する事であるから、言葉を飲み込み、違和感を覚えつつ署名をした。
そして話題は消防団の話になり、『退団したんやてな。なんで? 』と聞かれたので、もう、時間も経っているし正直に打ち明けても良いだろうと「斯斯然然で・・・」と話すと、これまた否定されてしまった。
退団に至った気持ちを、少しばかりでも理解してもらえるかなと期待して本音を語ったのであるが、彼も以前消防団に所属していて、圧倒的に地元消防団の肩を持つのは当然の結果だった。
最近、初老に達しつつある同級生と話をしなければならない時に感じるのは、思考が凝り固まった人が多いなと思う事である。
いやちがう。むしろ、子供の頃の資質に、歳を重ねた間に身に着けた「肩書」が、それを増長させただけなのかもしれない。
小学生の頃、野山や川を走り回って遊んだこともある人だったけど、同調圧力をかけてくる人になったことに淋しさを感じ、もやもやだけが残った。
部屋に戻り、妻に「なんだったの?」と聞かれたので、「小学校の合併反対運動の署名をもとめられた」と返事をすると、「卒業生なんだから、それでいいじゃない」と言われたが、もやもやは解消されず「なんで、小学校に愛着がわかないんだろう。僕は、異端なんだろうか? 」と聞くと、妻は何も返事をしなかった。
A4用紙に引かれた枠線の中にはすでに数名の名前が記されていて、少し戸惑っていると、「小学校を残すのにいる」と迫られた。
そして、彼は「署名する事はこの町に住む者にとって、卒業生にとって、当然の行為である」と言わんばかりの圧力でボールペンを突き付けてくる。
僕の住む町では、過疎化と少子化が進み、市の教育委員会は小学校の合併を進めているのですが、市報の中でも何度か、その問題について会合の場が設けられたことが報告されていて、そのことによって、合併反対派がいることは周知していた。
その活動がついにに署名活動にまで発展したことを実感したが、僕は合併に対して抵抗がなく、むしろ推進派的な考え方であるので、違和感しかなかった。
しかし、彼は、この狭い町で自営業を営んでいて、住民や権力を持つ人との繋がりがあるので、同調もひときわ強い。
おそらく僕とは真逆の人であるから、僕の考えなど聞く耳はなく、「早く署名しろ」無言の圧力をかけてくる。
時々お世話にもなっているので、仕方なくペンを取り署名しながら、「けど、人が減って言ってるんだからさ・・・」と、ささやかな抵抗を試みるも、「そやけど、ひつようやろ!」と、語彙を強め言葉を遮った。
僕は何故、そこまでして反対するのかを知りたかったのであるが、「そやけど、ひつようやろ」は、「もう、それ以上聞くな」と同義語だと悟り、自分の意思を貫く強さは勝てないし、ここで思想の議論を始めたところで、最後は御上が決定する事であるから、言葉を飲み込み、違和感を覚えつつ署名をした。
そして話題は消防団の話になり、『退団したんやてな。なんで? 』と聞かれたので、もう、時間も経っているし正直に打ち明けても良いだろうと「斯斯然然で・・・」と話すと、これまた否定されてしまった。
退団に至った気持ちを、少しばかりでも理解してもらえるかなと期待して本音を語ったのであるが、彼も以前消防団に所属していて、圧倒的に地元消防団の肩を持つのは当然の結果だった。
最近、初老に達しつつある同級生と話をしなければならない時に感じるのは、思考が凝り固まった人が多いなと思う事である。
いやちがう。むしろ、子供の頃の資質に、歳を重ねた間に身に着けた「肩書」が、それを増長させただけなのかもしれない。
小学生の頃、野山や川を走り回って遊んだこともある人だったけど、同調圧力をかけてくる人になったことに淋しさを感じ、もやもやだけが残った。
部屋に戻り、妻に「なんだったの?」と聞かれたので、「小学校の合併反対運動の署名をもとめられた」と返事をすると、「卒業生なんだから、それでいいじゃない」と言われたが、もやもやは解消されず「なんで、小学校に愛着がわかないんだろう。僕は、異端なんだろうか? 」と聞くと、妻は何も返事をしなかった。