硝子戸の外へ。

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小学校の合併問題を考える。

2023-08-10 21:23:32 | 日記
小学校の合併に反対する人たちの気持ちを考えている。

少子高齢化が顕著になったころから合併の話は出ていて、反対の運動もその話が持ち上がった時の今は鬼籍に入った自治会長さんから始まり、そして、この地域を愛してやまない人たちの手によって受け継がれてきている。
今回、署名運動に踏み切られたのは、これまでは内々で「合併赦すまじ」でおさまっていたのが、教育委員会との話し合いが設けられたことによって、旗色が悪くなったからではないかと推測する。
反対する人たちは、「地元の子供たちの為」とか「小学校が無くなれば人もいなくなってしまう」という理由を軸にして運動を継続しているようであるが、理由があまりにも漠然過ぎていて、客観的に見れば感情論のように映る。

実際、話し合いが設けられた際、反対派に強硬姿勢を取られたため、教育委員会の説明はしりすぼみになってしまい、その場を問題の先延ばしという落としどころで終えたが、顕著になった少子化とランニングコストを考えると、市も、教育委員会も、最後は力技で合併に踏み切るのではと思う。

しかしである。

教育委員会も合併反対派も、子供たちが、社会で必要な基礎を様々な形で楽しく学び、子供と言う限定期間を有意義に過ごすことが前提に考えているのだろうか。
人とモノを頻繁に往来させることがコミュニテイーを維持する為の必要条件ならば、現状維持という選択はコミュニテイーの衰退を意味する事を理解しているだろうか。
そして、思考の柔軟性が乏しくなった大人のエゴに子供たちを巻き込んではいないだろうか。
子供たちの未来をないがしろにしてはいないだろうか。

最後に、僕が小学校存続を訴える立場ならば、妥協案として次のような意見を述べると思う。

1,校区外に住んでいる進学先に私立中学を希望している子供たちを積極的に受け入れて、自販機すらない環境の、野山に囲まれた学校で六年間の学校生活を楽しめるように体制を整える。
(延命を考えるなら、既成概念にとらわれず、特化すればよいと思う。進学する人は、塾も通っているのだから、学校では、テストを廃止して、地元の子供達とのびのびと授業を受けられるようにすればよいと思う。)

2,この地域の70%を占める田んぼや山の一部を放棄し、住宅を誘致し、人口の増加を図る。
サイドコーナーの地区といっても、取り残されているだけであって、車さえあれば工場群までのアクセスはとても良いのである。
(1980年後半にも、住宅誘致の話が持ち上がったが、治安が悪くなると(よそ者を嫌う)訴える老人の強い反対によって計画はとん挫した。)

しかし、どちらを選択するにしても、大人の考え方の柔軟性が求められるのものなので、どちらも却下されるのではと思う。