父が亡くなって以来、命日に母と姉と3人で食事会をするのが恒例となった。
今日、その食事会を、横浜でしてきた。
姉は一昨年の癌の闘病がうそのように(とは本人は思ってないだろうな。不安もあるのかもしれない。ここは一応、はたから見て、という意味で)元気になってて、相変わらずかわいくてお洒落で細くて、昔は洋服の借りっことかしたのになあ(いつだよ?)って感じ。
もともと似てないので、まあ姉妹には見えません。
あーあー、姉に会うたびに、普段はあんまり意識にのぼらなくなってきた容姿コンプレックスが頭をもたげてくるのよ。人間は見た目じゃない、ってわかってるんだけど、正直、やっぱかわいく生まれたかったなあ(せめて痩せよう、と決意をあらたに)。
いや、こんなことを書くつもりじゃなくて。
母とは珍しくしばらく会っていなかった。暮れに会って、暴言とも言えるような毒を吐かれて、私はもうあなたの支配下にはいないのよというつもりで初めて自分の意見を言った。
そしてそれ以降、一度も会っていなかったのだ。
だから、今日、母に会うことに不安があった。あの一件がうやむやにされ、自分の意識もなしくずしになり、またもとの関係に戻ってしまったら?って。
でも、今日の私はブレなかった。他愛ないおしゃべりのなかでも、これまで相槌をうつしかできなかったのが、「うん、でもそれはこうじゃない?」「私はこう思うなあ」って自然と言えたし、態度も声の調子も、きっとこれまでとは違ってた。
母に会って別れた後、いつもはすごくつらくなって薬をのみながら帰るのだけど、今日はそれもなかった。
今月下旬に母の誕生日があるので、そのときにゴハンおごって、と言われて、まあそれは断れなかったけど、誕生日なんだからそのぐらいしてあげるかな、とも思ったし。
「親孝行しなくっちゃ」ってどこかでずーっと自分にプレッシャーかけてきたけど、今日思ったのは、別に母にべたべたやさしくしなくてもいいのかもしれない、ってこと。
私は私のできる範囲のことしかできないし、しなくていいのかもしれない。
私は親として思うのは、子どもが生き生きと生きていて幸せでいてくれることが一番の親孝行ってこと。
それって母と私の関係でもありなんじゃないか。
私が自分らしく生きて幸せをつかむ姿が、親孝行なんじゃないか。それを母は、喜んでくれるんじゃないか。
そんなふうに考えながら帰ってきた。
帰ると郵便受けに、放送大学からの合格通知が来ていた(すみません、大学に行く行くとふれまわっていましたが、正式にはまだ決まっていませんでした)。って、まあ書類が揃ってればおそらく不合格にはならないと思うけど。
それでも「いよいよ大学生だ」って思うと、うれしかった。
明日、学費の払い込みに行く予定。
今のスクールの来年度のクラス申込書も、今日、投函してきた。
春が来る。
がんばろう。