私が好きな風景の一つです。心が落ち着き、いつしかこの中に少年時代の私が立っています。
私の通った中学校には「農繁休暇」がありました。それは「はんげ」の翌日から3日間で、この期間は、晴雨に関係なくどの家も家族総出で、早朝から「田植え」をしていました。田んぼでは多くの友人に会いました。しかし、決して遊んだりふざけたりはしませんでした。あぜ道を縦に並んで歩きながら、私が「ここだ」といって家の田に降りると、友人はちょっと足を止めて「ここか。一時間だな」といってその先に行ってしまいます。私は少しむっとして「一時間で済むものか。大きな口を利きゃあがって。3時間だ」と思いながら目で追うと、友人は数枚先に田に入って行きました。この時二人の気分は、もう一人前の大人でした。
昼食は林の木陰でのお弁当でしたが、いつ頃からか、5歳下の妹が持ってきてくれるようになりました。がぶがぶ飲んだ番茶も、日の丸弁当も、採れたてジャガイモの煮つけも、とても美味しく、食後少し休んですぐに仕事にかかったものでした。
私が田植えをしたのは昭和24年からの6年間です。
私の家は、戦後始めた「にわか百姓」で、当時の蔑称で「3反(30アール)百姓」と呼ばれた農家でした。畑が1反半、田んぼも1反半で、ほとんどが自家用で、少し出荷したのはスイカとサツマイモぐらいだったでしょうか。
中学生になったら弱音を吐きません。腰が痛くなったり腕が抜けるようにだるくなったら、黙って背を伸ばして自分で腰や肩を回していました。親とともに味わう達成感の心地よさを知っていたからです。夕方、帰路につくとき母親が「お前たちが大きくなったから、今年は思ったより早く済んだ」と笑顔で言ってくれた時も、心の中で生意気にも「子ども扱いしないでくれ」と思ったりしていました。
「はんげ」というのは「半夏生(はんげしょう)」 のことで、中部地方以南ではこの日までに田植えを終わり、この日は「仕事休みの日」となっているところが多いようですが、私の家のでは、「はんげ」の前に田植えをすると虫にやられる、という言い伝えがあって、田植えを始める日はよく守られていました。多分、用水の一番下(しも)に位置していたため、水争いが起きないように、こんな戒めにして自重を促したのでしょう。この虫というのは「二カメイチュウ」のことで、8月穂が出るころに大発生して、田が一面に白く濁り収穫はほとんどなしになる恐ろしい害虫のことです。