かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

煙雨の中の木槿(むくげ)

2010-07-13 | 気ままなる日々の記録

今日は朝から雨、庭の「むくげ」が艶っぽい表情を見せていました。この木は晩年の母が植えたものです。この木を植えたころ、母は友人に勧められて「花木通販」の会員になり、毎年春と秋に数本の花木の苗を庭に植えていました。今と違って当時の通販は日数もかかり、梱包も粗悪でしたから、根づかせるまでが大変でした。乾いてしまったミズゴケの中から苗木を取り出し、数週間前から用意していた床に植え、毎日水をやっていました。母が亡くなってもう二十数年、私の手入れが悪く、今も花を咲かせてくれる花木は数本しか残っていません。「むくげ」はその中の一本です。


大正2年生まれの母は昭和9年に結婚、父の勤めの関係で名古屋市東区に居を移し、平凡にして平穏な日々を送り、私たち3人の子どもを育てていました。そこに突然襲った最初の災難は父の発病でした。昭和16年、私たちは田舎に引き上げてきました。その4年後、今度は地震と津波が同時に襲ったような第二の災難に見舞われます。敗戦。天を突くようなインフレ、金融資産の消滅、農地解放、食糧難などなど。母たちは少しばかりの農業を始めました。しかし、今思うと、母は底抜けに明るく強い人でした。鶏、ヤギ、ウサギを飼い、裏の小川に仕掛けを作ってドジョウを捕り、タニシを養殖して私たちにたんぱく質を食べさせてくれました。ころころ笑っている母の顔はたくさん脳裏に焼き付いていますが、しょげた姿を思い出すことはできません。奮闘15年、昭和30年代中ごろから少しずつゆとりができ、趣味の旅行・短歌・貼り絵・花木などを楽しむようになりました。例のごとく老人の繰り言でしょうか、むくげの花を見て親たちの生きざまに頭を下げ、自分たちはとても及ばないと自省し、今の日本の若い者はどうなっちゃたんだ、と思ったりしています。