一昨日までの3日間は異例の寒さ、それでも倒れた木の片づけやトウモロコシの本植えなどをしましたが、あとは“巣ごもり”。ごろごろしながら本を読んで過ごしました。
そこで、今回は最近読んだ本をとりあげます。最初は、安富 歩著『原発危機と東大話法』明石書店発行。
2012年1月15日初版で、私が買ったものが2012年3月1日初版第5刷ですから、相当なベストセラーの気配です。《私は最近、ほとんどの本をオンライン書店 bk1(ビーケーワン)で買っています。定価通りの価格でコンビニ後払い、注文後3日程度で届きます。近くの書店ではお目当ての本が見当たらないことが多く、名古屋まで出ると一日仕事になってしまいますので……》
現東大教授による“東大批判”で、特に今回の大惨事発生の原因は、東大の原子力工学科の無責任ともいえる体質にあると糾弾しています。分かりやすい文章で、記述はすべて具体的です。「東大話法規則一覧」というまとめ方も読者を惹きつけます。規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。規則5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。規則7:その場で自分が立派な人だと思われることを言う。規則12:自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。などが規則で、その具体例が示されます。どの例も実名入りで出典明示、著者の補足説明で読者は100%納得します。
私も今回の原発事故に関しては、避難をよぎなくさせられている地元住民な方々の胸中を思うと、いたたまれない思いで、責任の所在を明らかにしなければ、前え進めないと思うのですが、その議論は一向に進んでいません。その意味でこの本は「国民必読の書」と言ってもいいように思います。
しかし、読後感は決して爽やかではありません。日本語の歴史の中で“立場”という言葉の意味がいろいろ変化したという筆者の考察には鋭いものがあるとしても(特に沖縄戦で戦死された渡辺中尉が書いた妻への手紙の中の“立場”の考察)、現代社会に生きている私たちが簡単に“立場”や“職業”から自由になれるとは思われません。私自身も“立場で考える”ことがよくありますし、時には自信満々の振りもするわけで、著者のようにはいきません。中でも、重い問題提起は「傍観を客観と取り違えている」という指摘です。傍観の得意な私には、きつい話です。
「日本語雑記帳」は楽しく読みました。ある意味では“年配者向き”かも知れません。話し方が時代とともに変化していることを、身近な例で具体的に紹介しているからです。著者は現在80歳でしょうか、今なお研究に余念がなく、沢山のコラムを書いておられます。教科書の中の敬語の変化、NHKアナウンサーの言葉の変化、外来語の変化など、我々が膝を打つ例が沢山紹介されていますが、若い人たちには奇異な感じられることでしょう。
「平成不況の本質」の方は、ちょと“?”を付けておきます。バブルが弾けて20年、ちょこちょここうした本を読んで来ましたが、疑い深い私を納得させる本に出会っておりません。一番納得した本は「資本主義以降の世界」中谷 巌著でしたが、ちょっと迂遠すぎます。経済学という理論が“破れている”のではないかという気さえします。
最後にちょっと変わった本。
新潮文庫です。著者は美大卒のイラストレーター。舞台装置を手掛けたりエッセイや小説も書かれる多彩な芸術家。シズコさんは主人公(著者?)の母親という設定で、障害を持って生まれた兄弟を持ちながら、その兄弟の世話をすべて妹に任せ、自分は「東大出の男と結婚する」と宣言してそれを実現し、障害のある兄弟を「親戚の人」と呼んでしゃあしゃあしている母親に反発する主人公でしたが、年を重ねるごとに、母親を許し、母親が痴呆になってから添い寝をしたりするという小説。私には、面白かったです。