かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

“骨休め”して来ました。その2

2012-04-17 | 気ままなる日々の記録

 先回の「その1」への補足を2点させて下さい。最初は「森家の正面」です。当日は観光客が多くて全景をカメラに収めることが出来ませんでした。そこでチケットの写真からコピーしたものを掲載します。

  

 確かに億万長者の家にしては道路面が狭いです。しかし、先回書きましたように奥行きがすごいのです。

 2点目は先回紹介した「北前船」の利益金です。私は一回の航海での利益金が1億5千万と訊きましたが、同行者は「一年の利益金」と訊いた、と言うので帰ってから電話で確認しました。正解はは同行者での方で、年間利益が150,000,000円でした(1両15万円で換算)。

 最終日は午前中が小雨。フロントで富山の松川の桜は有名でツアー客も多く、今が満開と聞きましたので出かけました。  

 往復30分の遊覧船(大人一人1500円)が出ている程の人気スポットで、私たちは傘をさして歩きましたが最高でした。遊歩道もよく整備されていました。でも何よりよかったのは、“人出がまばら”という点だったと思います。

  

 

 道沿いのお店は開いていて、お客さんもほどよく入っていました。街全体がとても落ち着いていて、人がまばらですが、決して“さびれた”感じはしません。本当に落ち着いた街でした。ここは加賀前田家の分家が城をかまえた10万石のご城下。とても好きになりそうな町です。

  

 豊臣と徳川がいろいろ駆け引きをしていたころ、越中城主佐々家は、「徳川方に寝返った」ということで秀吉の逆鱗に触れ、追放。このお城は加賀前田お預けとなりました。やがて徳川の天下となったとき、120万石もの領地は徳川の不信を買うと、自ら領地を割って徳川の信頼を得ようとしたことによって越中前田が生まれました。従ってこのお城には天守閣がありません。

 

 帰り、世界遺産の五箇山を通りました。

  

 上の家は、昼食を頂いたお店です。ここでは純粋の家庭料理が出されました。山菜の煮付け、五箇山豆腐の煮付け、などなど。山菜と言うとすぐに天麩羅というのが“おもてなし”のようにたっていますが、私には“煮付け”の方が数倍も美味しく思われます。

  

 村内を散策しました。雪が多いのに驚きました。白川郷は世界遺産登録後急速に観光化が進み、何かが失われたような気がしますが、五箇山はそうした部分が少ないように思われました。それだけに住民の方々のご苦労が多いのではないかと思われます。

 

 ここに住めと言われたら尻込みするくせに、観光で訊ねるのは好きで、偉そうに「護れ!」「残せ!」と勝手なことを言うのだけは慎みたいと思うのですが、大震災や原発のことを思いますと、尻込みする自分をもう少し問いたださないといけない気もします。