かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

白露の夕暮れ。

2015-09-18 | 気ままなる日々の記録

  

    昨夕、心地よい夕暮れの風に誘われ、散歩に出た。わざと田園コースを選び、豊かに実った稲の間の農道を選びシラサギや名も知らぬ小鳥たちと一方的に雑談しながら夕日を浴び風に吹かれて進んだ、

  僕は田圃を見ることが好きだ。自分が中学高校時代よく田仕事を手伝わされたので、これまでに、どんな農作業が行われてきたかが手に取るようにわかるからだ。高校入学が昭和27年だから当時は全て手作業で今は殆どが機械化されているというちがいがある.

  それが分かってもいても、田圃の稲と楽しく雑談できるからそうした時間がじつにいい。昨夕も沢山稲たちの悲鳴を聞いた。勿論、そうかそうか、でもお前たちよくがんばってくれているなあ、これからも、頑張ってくれよと励まし続けてきた。そんなことをしながら、思ったのだが、江戸時代から脈々と受け継がれてきた麗しき百姓魂と云うものが近年の機械化によってすっかり失われたのではないか、という点である。百姓魂の第一は①細かい手作業はいくら面倒でも手を抜かないという点であり第二は②隅々まで見た目がいいように美しく仕上げる。であり。第三は③決して、お隣さんや村の人々に迷惑を掛けないという点である。

 その変化の具体例は、第①が、稲の間に生えている稗と呼ばれる稲に似た雑草がとられていない。これは、8月中ごろ大きな麦わら帽子を冠ってそーっと田の中に入り稲に混じって生えている稗を抜き取っておかないといけない。稗は、実に生命力が強い雑草で自分だけぐんぐん大きくなって周りの稲をやせ衰えさせ、立派な穂をだし沢山の実を付け田圃にまき散らす。そうなると、田植えを終わったころに芽をだしあたりの稲を衰えさせ稗だけが良く育つ。これを8月中頃に徹底的に除去しないと田圃全部がダメになってしまう。

  ②は田圃の隅みや、あぜ道に沿った一列を綺麗に手入れし見た目にピシッとした田圃にするという点である。

  昭和20年代は何処の田圃も隅々までキチンとしていてアメリカ人をしての日本の田畑は耕作地ではなく庭園だと云わせた。つまり、彼らには農作業ではなくガーデニングだと云わしめたものだ。それが失われているようだった。

 ③はあぜ道の草の刈り方が汚く後片付けが出来ていない。刈った草が農道に放置され通行の邪魔になっている。嘗ての百姓は決してこういうことはしなかった。きちんと何処かに纏めておき堆肥にするか、乾燥させて燃やしていた。機械化と同時に美しい百姓魂が失われていくのは残念なことである。

     蛇足ながら、上の写真でシラサギや小鳥がいる2枚の写真はこの春田植えが行われなかった田圃である。嘗ての農村ではこういうことはなかったと思われます。仮にこの農地の持ち主のご主人が病気になられ田植えが出来なかった場合でも田植え機の都合でできなかった場合でも、必ず村の世話役の人が乗り出してきて問題を解決して田植えを手伝って済ませてしまったと思われます。これが、江戸時代に五人組と云う制度を通して百姓に叩き込まれた「助け合い精神」で、これこそ日本の百姓のもっとも美しい美徳とするところであった。それが崩れ始めている。上の2枚の写真の話に戻って、こうした空地は多分ズーット水があってオタマジャクシやドジョウの宝庫になっていて、水鳥のパラダイスになっていると思われます。もしかすると施設の蓮池にいた鴨もここへきて食事をしていたかもしれません。やっと越冬に成功した蛙やドジョウが春とともにめざめ沢山食事をして沢山卵を産んで命の営みを活発に展開したところかもしれません。まだ春浅き頃、シラサギが鰻のような細長い魚を咥えて空を仰ぎ何度も咥えなおそうとしている姿をみとことがあります。水鳥は必ず頭から飲み込もうとして何度も咥えなおして魚の頭を喉へ落とそうと上を向いて咥えたり放したりします。(T)

 

 


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1 コメント

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勝手気侭に (齊藤直一)
2015-09-19 12:04:11
何時もブログを読まして頂いております。田んぼの雑草の件 あおさぎ 蛙等の動物にも注意して感想が書かれていますが、小生は漁師の子であったので海のことはすこしは判りますが、田んぼのことは判りませbん、俳句の会で今月の課題は彼岸花と言われましたが、90歳になろうとしているのに彼岸花が判らない、インターネットで判ったので加佐の散歩の折に五条川の川淵に咲いている彼岸花を折って持ち帰り、へやの小さな瓶に挿して眺めています。
今朝は2時頃より目が冴えて寝付かれないので、起きて、貴兄が執筆された「神と仏の祭り」の「白山信仰について」を無断でしたが、書き写しました。始めは調子よく書けましたが、書くほどに手 頭がおかしくなってきたので休み 休みしながら書きました、約4時間かかりましたが、筆も使っている内に思うようにならないので2本の筆を交互に使い、墨も使っているほどに乾燥してくるので、水を補給して書きました。本当は紙が薄いので、裏打ちをして渡そうと思っておりましたが、入浴に行く途中貴兄の部屋の前を通った時に丁度戸が開いていて、夫婦仲良くパソコンに向かっておられたので思い出して急いで渡したようなことで、字が細かくて読みにくいでしょうが辛抱して読んで(見て)下さい。
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