“眺望の素敵な「行基寺」へ行くことになったが、きみもよかったらどうぞ”とのお声がかかり、えぇ? こんな季節に? と思いながらも出かけました。ついでに旧東海道の「七里の渡し」も見るとのこと。
「行基寺」というのは岐阜県海津郡高須町にあります。車では、東名阪を弥富ICで降りて国道155号を少し北上して県道125に入り、木曽・長良・揖斐の3川を渡り、さらに多度町で国道258号に入り、5~6㌔大垣方面へ進んだあたりにあります。上の写真は寺の駐車場から撮ったもので手前の川が揖斐川、すぐ隣が長良川、その少し向こうが木曽川(ちょっと見えにくい)です。
先ずは、こんな片田舎の山腹にあるお寺に似合わぬ立派な山門に驚きましたが、さらに門扉の「三つ葉葵」(徳川家家紋)に驚きました。聞けばここは高須松平家の菩提寺だとか。
尾張徳川家第二代光友公は家康にならって、我が子から高須家・大久保家・川田久保家の3分家を創設され、尾張徳川家(尾張藩)の後継者が絶えた場合は跡取りを出し、幼少の場合後見役を勤める家柄と定められたとのこと。つまりここは江戸時代、御三家筆頭の尾張徳川家の御三家筆頭であったというわけです。事実、尾張62万石の歴代藩主17人のうち4人が高須松平家の出身でした。石高は3万石と小藩でしたが、江戸城では御三家・御三卿に次ぐ名門であったそうです。
このお寺に参詣すれば、幕末期、数奇な運命を歩んだ尾張の徳川慶勝、会津の松平容安、桑名の松平敬公・義比は、実は高須松平出身の4兄弟であったもとも偲ばれます。
このお庭の向こうに広がるのは豊穣な尾張平野と大都市名古屋。ここからの眺望はやはり全国屈指と言っていいと思われます。
私たちはこの後揖斐川沿いに下って「七里の渡し」に向いました。
旧東海道で熱田の「宮の渡し」からここ桑名までの距離が7里であったとか。残念ながら遺跡は何も無くなっていますが大自然はそのままだと思われます。揖斐川を随分さかのぼったところに宿場を設けていたこと、水位の変化に対応できるように石積みの入り江を構築していたことなどが分かりました。あとはフォトチャンネルでご覧下さい。
友人の案内で「行基寺」と「七里の渡し」へ行って来ました。
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