今日9月5日(月)は理学療法士の都合でリハビリの予定が明日に変更され、予定が全くなし、オール・フリーと云う恵まれた日になつ た。
そんなわけで、朝からわくわくしてチョット骨のある本を読み始めた。
その本がタイトルに書いた本である。
最初に三木清と云う人を紹介します。
生まれは1897年《明治30年神戸で生まれ、旧制中学までは自宅通学。旧制高校は東京の第一高等学校に進学。
此処で哲学に興味を持ち、京都大学へ進学、西田幾多郎氏に師事卒業後、岩波書店の援助をえて、1922年から1925ねんまでヨーロッパに留学、ドイツでは、リッケルト、ハイデッカー、に学び日本の哲学会をリードする思想家として帰国します。
事実帰国後岩波の顧問として出版会を指導し、自分も各種の雑誌に論文を発表した。
三木の経歴を一瞥しただけでものすごい秀才であることがわかる。
蛇足ながら日本の場合、人生とは何か、とか、結婚の意味はどこにあるかなど、哲学と云われる分野に関して大いに問題にし、若い人に考えさせることが重視される時代と、
そんなことは見向きもせず、学問は就職の手段で経済《収入)のことばかり問題にする時代との差が大きいと云えます。
身近な例で云うと戦前の明治、大正時代の学生は哲学志向が強く、戦前学生たちに人気のあったでかんショぶしなどでこのことがよくわかります。デカンショは、デカルト,カント、ショウペン・ハウエルの省略で、旧制高校の学生が良く歌ったデカンショ、デカンショ、で半年暮らす、ヨイヨイ、
後の半年は、寝て暮らす、の歌はこの様子を良く歌っていると思います。一方、戦後は一気にお金儲けへの近道に熱中することになりました、又「人生これ不可解」と木の幹に書き込み滝に身を投げた一高の学生が出たのが戦前ならば、東大の学生たちが会社を興し何と大学入試模擬試験を行い全国規模の会社に育て上げたのが戦後である。
戦前の学生たちがよく問題にしたのが「死」とは何かであり「人生とはなにか」あるいは「善」とは何か?であった。
江戸時代や明治時代に尊重された中国の古典「論語」なども戦後は見向きもされず封建的と一語で捨てられた。
どうも我が国の思想界は軽々しく先進国の真似をしようと云う意識がつよすぎるようです。
特に文化系の学問に関して日本の学会は底が浅いと思われます。
一方、論語には「我未だ『生』を知らず。いわんや『死に置いておや」と云う一文があるそうです。前記の本にでてきます。オソマツ君は中国人のこうした態度は大したものだと思います。
カントが死について考えているという時中国人はそのあとを追うことを考えず、興味ないと切って捨てる態度と思われます。
我が国もそろそろ先進国の後追いをやめて、自分で考え世界に発信する学問を打ち立てたいものだ。(T)
貴兄が出した論語の解釈は少し違うと思われます。
それとも貴兄の言葉が足らず 私が貴兄の主旨を」誤解
しているのでしょうか。
貴兄の最後の結論からは 論語を例に出した意味が通じません。
貴兄の最終の主旨と論考経過と整合していないので読者
は 理解に苦しむでしょう