東風(こち)吹かば、匂いよこせよ梅の花、主無きとて春な忘れそ。(菅原道真 )
時代は平安初期醍醐天皇の御代「書」に優れ、今までに天皇名で出された各種の勅命に詳しかった菅原道真は右大臣にまで上り詰め、有力貴族の藤原氏の反感を招き讒言により九州の大宰府に左遷され、そこで失意のうちに読んだ歌が上記の歌で春になったら忘れずに花を咲かせその香りを東風に載せて九州の此処まで届けてくれと云う壮大な短歌である。
しかし、道真は大宰府で失意の死を迎えた。この年の夏には京都で落雷が多く御所にも落雷があり火事になったし、有名な寺の山門や神社の鳥居にも落雷があり、人々は元右大臣の祟りだと恐れ雷が鳴ると「くわばら、くわばら」といった。桑原は菅原家の邸宅があった地名でそこには落雷が無かった。
時の天皇は罪もないのに大宰府に左遷したことを反省し、菅原家の屋敷のあった北野に大きな社をつくり北野天満宮として菅原道真を祭った。これが現在の北野天満宮であり、「北野の天神様の愛称で全国に学問の神様としてまつられた天神様である。
そのことを承知でオソマツ君は自分の家の庭にもっと紅梅白梅を増やそうと思い立ち可児の花木センターに通いいい苗木を探した時代があった。あのころは紅梅も白梅も枝垂れが好きで垂れた枝に沢山花芽を付けている苗をさがしたものである。
昨日師匠からメールがあって僕の家の庭の梅が綺麗に咲いているとのこと、正に菅原道真の心境です。
師匠がそれを写真に撮ってご自身のブログ(「グーブログ「私の70台」)に貼られたそうです。「連鶴」のときのように「私の70台」にアクセスして白梅紅梅をご覧ください。(T)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます