かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

1泊2日の小旅行のハシゴをしました。

2012-09-27 | 気ままなる日々の記録

 所属する2つのグループが計画した小旅行が偶然連続日程となり、チョット迷いましたが、両方に参加しました。最初が「山歩きの会」の9月行事で、23日桑名~24多度山コース、続いて「平成17年度区長会」の行事で、25日黒部・宇奈月~26日荘川クルーズ・五箇山のバスの旅行でした。以下4回に亘って見どころを紹介します。

 桑名地方の23日は正午ごろまで小雨。私たちは歴史好きなリーダー(この旅行の企画・担当者)の案内で、旧東海道五十三次の宿場町・歴史街道を歩きまわりました。この地は伊勢湾台風の直撃地。今に残る爪痕と復旧による巨大なコンクリート壁に改めて仰嘆ぜざるをえませんが、それでも昨今の予想は、この壁を軽々と乗り越える津波が来るといいます。改めて今、大自然への畏敬の念が求められていると思われます。

 今回のご報告は桑名が生んだ大富豪・山林王の豪邸「六華苑」(旧諸戸清六邸)とします。まずはパンフレットからスキャンした広角画像を。

 

 この豪邸は大正2年、2代目諸戸清六邸として竣工したものですが、この館の最大の特徴は和風建築と洋風建築の融合を意図し、それが見事に成功している点だといいます。上の写真が洋風の庭から母屋を見たもので、中央の写真が巨大な池を配した裏側の和風庭園から住宅を写したものです。下の写真は宴会場にも使われた和風のお座敷を写したものです。この他に幾つもの蔵や離れが配されていました。

 和風と洋風の融合。その成功は日本文化を愛し、書院造りや数寄屋造りの良さを知りつくしながら、鹿鳴館なども設計し「日本近代建築の父」と呼ばれているジョサイア・コンドルが設計を担当したからで、今では地方都市に残る彼の唯一の作品だそうです。歴史好きな友人たちが、おしゃべり好きなボランティアガイドに次々と質問を投げかけ、脱線に次ぐ脱線の解説を聞きながらの見学でした。

             

             

             

 私の写真を並べましたが、殆ど説明の必要はないと思われます。ボランティア・ガイドさんからお聞きしたお話を少し紹介します。

Q 諸戸さんはどうやって大金持ちになったの?
A 最後は“コメ相場”で財をなしたと云われています。“商品市場
”としての米取引の最大の場所は大阪でしたが、実は桑名にも市場があって、諸戸さんは桑名の相場と大阪の相場との関連性に着目して研究され、「桑名の相場を誰よりも速く大阪に伝えれば確実に儲かる」という計算式を編み出し、情報伝達の方法を研究された。電話も電報も使い物にならず「飛脚」が最大の手段だった頃、「狼煙(のろし)」にヒントを得て山頂から山頂へ大きな旗を振らせて通信をするという方法で、何と15分で桑名の情報を大阪へ伝えることに成功された、といいます。
Q そうか。曇りや雨の日は手を出さなきゃいい訳だね。
A  そうです。間違いが起きないように確認しながらの伝達だったそうです。
Q  相場で儲けた人は、相場でスルとしたものだが……。
A  そこが偉い人なんですよ。「お金は子や孫には毒だ。しかし万が一の時には子  や孫が使えるようにと考えられ、儲けたお金で山林を買われた。広さでの山林王は山形の方におられますが、金額(評価額)での山林王はズーット諸戸さんでした。何しろ鈴鹿の自分の山から出発して熊野大社まで他人の土地を踏まずに行けたそうですよ。どうしても木材を売ってほしいと云われて売れば、それだけで大儲けという商売だったそうですし、戦後の農地改革でも対象外でした。
Q 金持ちは意外にケチと云いますからね。
A いいえ、いいえ、諸戸さんは桑名にドンドン寄付されました。桑名は水郷で何処を掘ってもすぐ水が出ますが、全部濁っていて飲み水には使えない。だから桑名の人は飲み水は買っていたんですよ。それを諸戸さんが鈴鹿の山に貯水池を作り、水道を敷いてくれたんです。全部寄付。すごい人でした。
A コメ相場で儲けたといっても、最初の資金がなければコメ相場なんて手も出ないんじゃない?
Q ご先祖は「総百姓」って言うんですか。大勢の庄屋さんのまとめ役みたいなお家柄だったそうです。この地方は「一向宗」の信者が多くて信長の一向攻めのときは大変だったそうです。家には火を放ち逃げまどう人々を馬の乗った兵士が弓で射殺す。信長は一向宗に関しては女子供まで皆殺しにした。諸戸さんの先祖はこの信長の作戦をよく知っていて、信長が攻めてきたときに「家の中にいるな。戸を担いで逃げよ。馬が来たら戸板の陰に隠れろ!」と命令され、多くの百姓が命拾いをした。後の世にこのときの功績が認められて「諸戸」という姓を賜ったとのことですよ。先祖代々情報通だったんですね。

 とまあ、こんな調子で楽しいお話は延々と続きました。 


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