近所におらせられる紳士のKさんが、中国旅行から帰ってこられた。
九塞溝を見にいったらしい。
出発の前日に、般若君の座椅子を、「キャ」(現金)で買っていかれた。
「納品は帰国後」という約束で、先日無事ひきわたした。
「とても座りこことがいい」ということ、でご満悦だ。
最近「品格」という言葉が盛んに使われているけど、品格とは「品(もの)の価値がわかる」という言霊。ものの価値というは、「使いこなす心」も必要だと、つくづく思う。
天真庵では最近、ウォンさん(さとわミュージック)の「九塞溝」を毎日聴いている。寒山拾得の世界を垣間見ると、自然や緑を見たりするキラキラ感がかわってくる。音楽とは「人間の根源的な悲しみ」みたいなものが凝縮されていて、ときどき
同じような波動で、心が沈むこともあるけど、悲しみの底にある「力」みたいなものにふれると、また少しこころが落ち着いたり、たかぶったりしてくる。
人のこころって、じつに不思議なものだ。
九塞溝を見にいったらしい。
出発の前日に、般若君の座椅子を、「キャ」(現金)で買っていかれた。
「納品は帰国後」という約束で、先日無事ひきわたした。
「とても座りこことがいい」ということ、でご満悦だ。
最近「品格」という言葉が盛んに使われているけど、品格とは「品(もの)の価値がわかる」という言霊。ものの価値というは、「使いこなす心」も必要だと、つくづく思う。
天真庵では最近、ウォンさん(さとわミュージック)の「九塞溝」を毎日聴いている。寒山拾得の世界を垣間見ると、自然や緑を見たりするキラキラ感がかわってくる。音楽とは「人間の根源的な悲しみ」みたいなものが凝縮されていて、ときどき
同じような波動で、心が沈むこともあるけど、悲しみの底にある「力」みたいなものにふれると、また少しこころが落ち着いたり、たかぶったりしてくる。
人のこころって、じつに不思議なものだ。